サルトルにおける穴とねばねばしたもの

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穴に関するサルトルの議論は、フロイトの肛門性愛論に対抗したものだ。フロイトは、幼児の肛門愛こそが、人間にとって最初の性的リビドーの発露であり、それは、意識の発達していない幼児にとっては、無意識の衝動であるとした。それに対してサルトルは、二重の観点から反撃を加える。一つは幼時には性欲などありえないということ、もう一つは、無意識の衝動などナンセンスだということだ。衝動といえども、サルトルにとっては、意識の自由な選択なのである。

一方、ねばねばしたものに関する議論は、存在論のバリエーションのようなものである。ねばねばしたものの特徴は、わたしにべったりとくっ付いて、思うように剥がれないことである。それは、ねばねばしたものの、個体と液体との堺であるという物理的特性によるところもあるが、存在論的には、対自としての自己にとって、完全に対象化できないことからくる。対象化とは、対自が対象を自由に始末できることを意味するのだが、ねばねばしたものは、対自の能力をすりぬけるところがある。それは、わたしの存在にまとわりついて、わたしをすっきりとした自由の境遇に置くまいとする圧力である。

まず、穴について。サルトルによれば、穴とは口と同義である。口をあいたものは猥褻と感じられる。なぜ猥褻かといえば、それはふさがれることを欲するからである。口をふさぐものは、食べ物のほかに、人間の器官の一部でもある。女はみな穴としての性器を持っているが、そこを男のペニスでふさいでほしいと思っている。女の性器が猥褻なのは、その開いた穴が、「存在ー呼び求め」として、男のペニスを呼び求めるからである。

肛門も穴ではあるが、女の性器と同様、それが穴として現れるのは他者にとってのことであり、幼児にとって肛門が穴として体験されることはない、とサルトルは言う。フロイトの幼児性欲説は、穴としての肛門に性的快感を覚えることを前提としているので、穴として肛門を体験することのない幼児が、肛門を通じて性欲を覚えることはないというわけである。

このようにサルトルは、女の性器と肛門で穴を代表させたうえで、女の性器は性欲の源泉となるが、幼児にとっての肛門は性欲とは無縁であると言って、フロイトの幼児性欲説に異議を唱えているわけである。

フロイトは、性的衝動としての性欲を、無意識的なはたらきがもたらすものと考えたのだったが、サルトルには、その無意識という発想そのこと自体が受け入れられなかった。人間の存在論的な本質は意識の自由にあり、無意識の介在する余地はない。性的衝動といえども、無意識的な衝動ではなく、意識的に選択されたものである。われわれは「暗い衝動にかられて女を求めた」、というようなことをいうが、実は、女を求める衝動は、かれの意識的な選択の結果なのである。なんだか知らないうちに、女を抱いてしまったのではなく、女を欲しいと意識しかたら、女を抱いたのである。

こうしたサルトルの議論は、徹底的に意識に定位したものである。サルトルにとって、人間存在の範囲は意識の範囲と一致するのであって、そこからはみ出した無意識の部分などありえない。穴をめぐる議論にあっても、サルトルは一貫して、意識による穴の自由な選択を論じているわけである。

ねばねばしたものは、その人間の自由な選択に、一定の制約を課すものである。人間はどんな状況においても、たとえ死を強要されているような場面においても、自分の存在を自分の意志によって決定する自由を失わない。身体は奪われても、意識の自由までは奪われない、そういう高ぶった自由意識がサルトルにはある。ところが、ねばねばしたものは、わたしの自由をするりとすりぬける。それはわたしの身体にまとわりつき、容易には剥がれない。その耐性のようなものが、わたしにとっては脅威になる。そうした事態をサルトルは、「対自が即時に飲み込まれる」(松浪信三郎訳)といっている。

穴とねばねばしたもののうちで、幼児が先に発見するのは、ねばねばしたものであるとサルトルは言う。幼児にとって、ねばねばしたものの「べたつくいやらしさ」は、自分の全存在を不快にさせるものとして、根源的な体験を構成する。快・不快を、人間存在にとってのもっとも根本的な原理としたフロイトも、その点はサルトルに同意するであろう。だが、フロイトは、サルトルとは異なり、その根本的な衝動を無意識と関連付けて考えた。サルトルはといえば、あくまでも意識の自由と関連付けられるものである。サルトルが、ねばねばしたものに異常といえるこだわりを見せるのは、それが一見、意識の自由にとって大きな脅威になると考えたからにほかならない。

ことほどかように、サルトルは人間の意識の自由にこだわったのである。サルトルにいわせれば、排便のような(不随意的と思える)行為も、意識的存在としての人間の、存在欲求の現れということになる。





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