ガルブレイスの労働論:ゆたかな社会

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生産力があまり高くなかった初期の資本主義システムにおいては、労働力の対価たる賃金は最低水準に決まる傾向が強かった。その最低水準とは、労働者の生存を最低限保証できるものだった。その労働力の単位が、労働者個人に絞られるならば、その労働者は家族を養うことができず、したがって社会全体として労働力を再生産できなくなるから、賃金はおのずから資本主義システムが存続できるための水準に設定される。通常それは、小さな家族を養うために必要な水準に落ちつくだろう。その水準は、家族の生存に必要なぎりぎりの線であるから、それでは余暇とか教養とかは満足できない。労働者は最低の生活水準をかろうじて保てるにすぎない。

そうした賃金の法則性のようなものは、アダム・スミスやリカードも気づいていて、かれらはそれを「賃金鉄則」と呼んでいた。その鉄則が貫徹するのは、完全競争モデルが成立している市場においてである。リカードらが設定していた完全競争モデルにおいては、労働力の供給は硬直しておらず、弾力性をもっていた。労働力は、一定の幅の中で、労働力への需要と供給が一致する点で決まっていた。こういうことが可能なのは、労働市場にいわゆる産業予備軍がいて、労働力の供給に弾力性があるからだとされた。そういう事情のもとでは、労働者相互の間に競争が行われ、賃金はおのずから最低水準になる傾向が強いのである。

以上のような事態が成り立つのは、繰り返しになるが、完全競争のモデルが有効だった比較的初期の資本主義システムのもとにおいてであった。今日のゆたかな社会においては、労働をめぐる「賃金鉄則」はかなり緩和されてきている。賃金水準は、人間としての生きるための最低水準よりは高く設定されるようになり、また、労働時間などの労働条件も改善されてきている。今日のゆたかな社会における労働者は、初期の資本主義時代における労働者に比べるとはるかにゆたかで快適な暮らしができるようになっている。

その原因としてガルブレイスはいくつかのことをあげている。最大の要因は、なんといっても生産の規模が飛躍的に拡大したことである。初期の資本主義時代には、生産の能力には限界があり、したがって人々の欲望を十分に満足させることができなかった。そういう状態では、生産を拡大させるために労働者をめっぱい働かせなければならず、その賃金も最低水準にならざるを得なかった。だがいまや、社会全体がゆたかになって、生産に余裕が出るようになった。その余裕を有効に使って、労働者の待遇を改善することができるようになった、そうガルブレイスは考えるのである。だから、ガルブレイスの基本的なスタンスは、生産こそがすべての土台であり、その生産が拡大することではじめて、労働者の待遇改善をはじめ、さまざまな福祉的課題が実現できるというものである。

ガルブレイスはそのほかに、大企業のパフォーマンスとか労働組合の役割などを労働者の待遇改善の要因としてあげているが、それらも生産の飛躍的な拡大を前提とした話なので、あくまでも生産の拡大こそが、さまざまな社会的な課題の解決にとってのカギとなると考えた。

この拡大した生産を前提として、その結果得られる社会的なゆとりをどのように分配するかが、大きな課題となる。そこでガルブレイスは、この分配を適正に行うことで、全体として公正な社会が実現できると考えた。そこでもっとも肝心なことは、こうした分配を可能にするのは、十分な余力をもった生産の実現であって、したがって生産ありきを前提とした議論をガルブレイスは展開しているわけである。生産を無視した分配はナンセンスだとする点では、ガルブレイスは主流派経済学と根本的に異なっているわけではない。

ところでガルブレイスは、この生産の余剰を背景にしてさまざまな福祉的政策を主張するのであるが、その中でもっともユニークなのは、働く能力に劣った人々は無理して働かなくてもよい。そうした人々は社会全体で支えてやればよく、またそのために必要な条件をゆたかな社会は十分もっていると主張するところにある。そこで働く能力があるのに働こうとしない怠け者の存在が問題となるが、ガルブレイスはそういう連中が一定程度存在することは認めながら、だからとって、それを理由に福祉を敵視するのは行き過ぎだと考えた。いまのゆたかな社会においても、やたらと自立自助が喧伝され、働かざるもの食うべからずの合言葉のもとで、弱いものへの思いやりがかけた雰囲気が蔓延しているが、それをイデオロギー的に支えているのが賃金鉄則をはじめとした伝統的な経済学の通念なのだといって、ガルブレイスはゆたかな社会にはそれにふさわしい経済学がなければならぬと主張するのである。

ガルブレイスのユニークなところは、ゆたかな社会における福祉的な政策を、単に経済学的な視点から論じるにとどまらず、倫理的な視点も感じさせるということである。経済学の祖といわれるアダム・スミスは同時に倫理学者であった。経済は単に物資の生産・分配の問題たるにとどまらず、人間の生き方に指針を与えるという役割をもっている。そうアダム・スミスは考えたわけだが、そうした経済学にとっての原点となるような姿勢を、ガルブレイスも共有しているといえるのではないか。いまはやりの経済学は金勘定に専念している。それでは真の意味での経済学とはいえない。経済学の真のそして崇高な意義は、金勘定ではなく人間の福祉の拡大だということを肝に銘ずることこそ、経済学者の基本的なスタンスであるべきだと、ガルブレイスは考えるのである。






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