蘭を焼く:瀬戸内晴美の短編小説

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瀬戸内晴美が短編小説「蘭を焼く」を書いたのは四十七歳の時で、「墓の見える道」を書いた二か月後だった。「墓の見える道」は、基本的には、女の生理を、というか性的衝動をテーマにした作品だ。この「蘭を焼く」は、表向きは焦げた蘭の花の匂いをテーマにしているが、その匂いは女の匂いを連想させることになっているので、やはり女の生理がテーマといってよい。その匂いとは、脇の下や内股から漂ってくるとされている。どんな匂いなのか。小説では、自分の匂いが葱の匂いと似ていることを気にしている女が出てくるので、ここでいう女の匂いとは、葱によく似た匂いなのであろう。たしかに女の汗は葱の匂いがする。

短編小説ということもあるが、筋書きのようなものはない。或る夜の男女の逢引きを描いたものだ。その男女関係は、女の部屋に男がやってきて、束の間の性交を楽しんだ後、深夜に男が帰っていくというものだ。そういう関係は、瀬戸内自身の私小説の中でも描かれていたので、この小説も瀬戸内の実体験をもとにしたものだという推測はつく。この頃の瀬戸内は、一応、私小説を卒業したフリをしていたが、書くことの具体的な内容には、自身の私的な体験が忍びこんでいるということらしい。

蘭の花は簡単には焼けないらしい。この小説では、男が蘭の花をブランデーに浸し、そのブランデーに火をつけることになっているが、ブランデーのアルコールが勢いよく燃えても、蘭の花自体は焼けないで残る。だが、それが焦げ臭い匂いを立てていて、その匂いが女の匂いを連想させるという。女の匂いは葱の匂いに似ているということになっているから、蘭の焦げ臭い匂いもまた葱に似ているということになる。小生は、ブランデーに蘭の花を浸して火をつけた経験もなく、したがって焦げ臭くなった蘭の花の匂いをかいだこともない。それが普通だろう。蘭の花をブランデーに浸して火をつけるというようなことは、普通の人間には思い浮かばないことだ。

だがこの小説は、蘭の花の焼け焦げた匂いをテーマにしたものではない。テーマは、男女の逢引きである。女が男を自分の部屋に迎え、つかの間の性交を楽しんだ後、深夜に男を送り出す。その短い時間のなかで展開される、男女の心の機微を描くことがこの小説の意図なのである。

性交についての具体的な描写はない。男が眼で軽く合図をし、女がそれに眼で答える。それを合図に二人はベッドでもつれあうはずなのだが、それについては全く触れていない。小説が触れているのは、二人が酒を飲みながら交わす会話の内容なのだ。その会話の中で、葱の匂いのする女だとか、男とその妻の関係とかが触れられる。男とその妻との関係について、女は嫉妬の感情を全く覚えない。一人の男を二人で共有しているという意識が女にはないようなのだ。そういう淡泊さは、女としては珍しいと思うのだが、瀬戸内自身は、自分をそういう淡泊な女と自認している。この小説は、そうした瀬戸内の自己認識を合理化したいという思いを感じさせるところがある。

こんな具合で、この小説は、瀬戸内にしては、淡泊な印象を抱かせる作品だ。瀬戸内の小説に出てくる女たちは、つねに発情状態にある。それは瀬戸内自身が多情多感な女性だったからだと思う。彼女は、好きな男を前にしていると、子宮が感じると公言するほど、性欲についてはあっけらかんとしている。ところがこの小説の中の女は、下半身の結びつきよりも、知的なやりとりのほうに興味を覚えている。それは瀬戸内が年をとって枯れたからなのか、あるいは知的な生き方に目覚めたからなのか、この小説から俄かに推定できることではない。





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