小林政広「春との旅」 祖父と孫娘の触れ合い

| コメント(0)
kobayashi04.haru.jpeg

小林政広の2010年の映画「春との旅」は、老人とその孫娘との触れ合いをロード・ムーヴィー仕立てで描いた作品。日本映画でロード・ムーヴィーの傑作といえば、山田洋次の「家族」とか「幸福の黄色いハンカチ」が想起されるが、この「春との旅」も、日本映画史に残るような傑作ではないか。

映画の主人公は、仲代達也演じる老人と、徳永えり演じる孫娘。北海道の増毛で暮らしていたかれらが、ある日旅に出る。老人の兄弟たちを訪ねるのが目的だ。孫娘は失業したばかりで、増毛には未練をもたず、東京へ出稼ぎに行きたいと考えている。ついては一緒に暮らしてきた祖父の身の振りかたが問題になる。孫娘は祖父に対して、三人いる兄弟のだれかの世話になるよう提案する。老人は孫に捨てられたと思って逆上するが、なんとか兄弟たちを訪ねることに同意する。

かくして彼ら二人の旅が始まる。兄弟たちは、東北各地に住んでいる。まず、兄をたずねるが、兄は婿養子の身分で、弟をひきとる余裕はない。鳴子温泉で旅館を経営している妹(淡島千景)は、春は働き手として引き取ってもよいが、兄を引き取る気はないと突き放す。一番下の弟は、事業がうまくいかず、自分が生きるだけで精いっぱいで、とても兄の面倒を見る余裕はない。かくして兄弟たちに見捨てられ、落ち込む祖父の姿を見て、孫娘は祖父を捨てることを恥じるようになる。そして、増毛に戻っていままでどおり一緒に暮らそうと決意するのだ。

二人は増毛に戻る前に、孫娘の父親を訪ねる。その父親は家を出た後再婚していた。かれが家を出た理由は、彼自身の責任ではなく、妻の浮気のせいだった。だが、かれと妻の父親との間にへんなしこりはなく、かえって互いにうちとけあっていたので、このさき一緒に暮らそうと申し出られたりもするのだが、老人と孫娘は、二人で増毛で暮らし続ける決意をかたくする。

何日かぶりで増毛に向かう列車の中で、老人は静かに息を引き取る。孫娘は深い悲しみを感じる、というような内容である。

こんなわけで、祖父と孫娘との肉親のきずなが表立ったテーマであり、それに現代日本の厳しい人間関係がからませてある。祖父と孫娘の間には、なんとか肉親の情が通い合っているが、兄弟の間にはそれがなくなっている。淡島千景演じる妹は、兄のことをなんとも思っていないし、男の兄弟たちは、それぞれ自分のことで手いっぱいで、同胞のことに気を遣う余裕がない。要するに家族関係が、基本的に壊れてしまっているのである。かつて小津安二郎は、「東京物語」の中で、家族が解体する傾向への不安のようなものを表現していたが、小林政広のこの映画は、ほぼ完全に壊れてしまった日本の家族関係を取り上げているわけである。

仲代達也の演技がしぶい。また、徳永えりも独特の雰囲気を表現している。この映画の中の彼女は、ガニ股で歩きまわるのだが、実生活ではそうではないのだろう。この映画のために、わざわざそう演技したのだと思う。それが、なんともいえず、孫娘のあせりを物語っていて、心に迫るものを感じさせる。






コメントする

アーカイブ