ガルブレイスのインフレーション論:ゆたかな社会

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ガルブレイスは「ゆたかな社会」のなかでインフレーションの問題に大きな関心を寄せている。ガルブレイスがこの本を書いた時代、つまり第二次大戦後は、アメリカをはじめほとんどの先進資本主義国がインフレーションに悩んでいた。デフレが常態化していた近年の日本などでは想像もつかないが、かつては、日本でも深刻なインフレが経済学上もっとも大きな問題だったのである。

ガルブレイスは、この本のなかでは、インフレの原因やそれへの対策について、あまり突っ込んだ議論はしていない。ただ、主流派の経済学が、インフレーションを必要悪のようなものとみなし、不景気になって失業が増大するよりは、好景気のもとでインフレになるほうがましだと考えていることに異議を唱えている。ガルブレイスによれば、インフレーションの影響は、各人に均等に及ぶのではなく、社会階層によって不平等な働きをする。借金を多くかかえているものには有利に働く一方、年金生活者や公務員などには不利に働く。そうした不平等の働きが、ガルブレイスには我慢ならなかった。インフレーションの問題は、経済の問題たるにとどまらず、公正の問題でもあるのだ。

インフレーションとは、ごく単純化して言えば、物価の継続的な上昇傾向をさす。そこで、何が物価を上昇させるのか、それについてどのように考えるかにしたがって、インシュレーションの原因とそれへの対策が絞られてくる。主流派の議論はきわめて単純なもので、要するに需要が過熱して供給を上回る事態が物価上昇をもたらし、それがインフレーションにつながるというものだった。だから、インフレを抑えるためには、需給関係に影響を及ぼす措置をとる必要があるということになる。だがその場合、無理やり需要を抑え込むような政策は、生産の規模の縮小をもたらすので、生産至上主義の主流派経済学にとっては、なかなか受け入れられない。そこでかれらは無為無策がもっとも気の利いたインフレ対策だと開き直るようになる。経済現象には一定のリズムがあって、インフレのあとにはデフレがくるようになっているのだから、そうした自然のリズムにまかせるのが賢明だというわけである。

要するに、主流派経済学はインフレーションについて、真面目に考えていないというのがガルブレイスの見立てである。

主流派経済学のなかで近年影響力を広げているマネタリズムは、インフレは貨幣現象だとして、貨幣へのコントロールを通じてインフレに対峙すべきだとした。需要の増大は貨幣の拡大と並行している。だから貨幣の量を減らせば、物価も下落し、インフレも自然と収束するのではないかというのが、かれらの主張の要点だ。それに対してガルブレイスは、貨幣現象は実体経済を反映しているのであって、それ自体として独自の力をもっているわけではない。だから、貨幣の量をコントロールすることで、実体経済に影響を及ぼそうとするのは逆立ちした考えだとする。実体経済が貨幣の量を決めるのであって、貨幣の量が実体経済を決めるのではない。そう考える点では、ガルブレイスはマルクスと同じ土俵の上に立っているわけである。

ガルブレイスは、それとして明示しているわけではないが、マネタリズムの主唱者を強く意識している。ミルトン・フリードマンを代表者とするマネタリズムは、同時に徹底した自由主義であって、市場の自律性を強調し、政府の役割を敵視する。だから経済政策の分野では、政府の役割に依存する財政政策を極度に抑圧し、もっぱら貨幣政策で経済をコントロールするべきだと主張する。これに対してガルブレイスは、貨幣政策が経済に影響を及ぼすことはほとんどないとまで言い切っている。利子率が経済活動に影響を与えることはほとんどないし、金融緩和にしてもあまり効果があるとはいえない。要するに、貨幣政策は実体経済にとってストレートな影響を及ぼすことがなく、したがってインフレーション対策としても効果がないというのである。

ガルブレイスは言う、「貨幣制度は、たとえどんなに見事に、あるいは秘術的に運用されたとしても、物価の安定と、ゆたかな社会で至上のものとみなされている生産及び雇用とを、和解させることのできる魔法は持ち合わせていないのである・・・それが今でも尊敬される地位を失っていない一つの理由は、それを理解する人がごくすくないからだ」

その理解をできていない人が、一国の経済運営を担当することになったら、どういうことになるか。小生は近年の日銀のパフォーマンスを念頭においているのである。近年の日銀は、政府にかわって経済政策の責任を担うようになり、貨幣政策を通じて経済的な課題をなんでも解決しようとしている。その政策の柱は、金融緩和による景気の刺激と、インフレーションの実現ということであるが、金融緩和によって景気が刺激されたという事実はないし、インフレーションも実現できていない。今年(2022年)はじめてインフレ傾向を指摘できる事態が起こったが、これは通常の経済現象ではなく、ウクライナ戦争とか為替の激しい変動に基づくものである。いわば異常事態における物価の上昇であって、正常の経済活動を反映したものではない。

ともあれ、ガルブレイスのインフレーション論は、公正な社会の実現にとってインフレがマイナスの役割を果たすことを強調する点で、労働分野における倫理的な議論と共通する議論を展開しているわけである。





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