中論を読む:ニルヴァーナの考察

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中論第二十五章は「ニルヴァーナの考察」である。ニルヴァーナとは、漢訳で涅槃ともいわれ、釈尊が最終的にさとりを開いたところの境地をさして使われる言葉である。仏教では輪廻を解脱した世界というのが、だいたいの共通理解となっているが、その積極的な内容については、かならずしも明確ではない。中論をそれを明確にしようとするのであるが、しかしその説明の仕方はあいかわらず雲をつかむようであり、今一つ判然としないところがある。

中論における議論は、般若経の空の思想をふまえたものである。空の思想は、あらゆる事柄に実体性を認めないというものであるが、その議論はあらゆる存在には実体性がないと主張するものであるから、勢い否定的な色彩を帯びる。鈴木大拙は、般若経の空の思想は否定の論理の上に立っているといったが、むしろ論理を排斥するところに成立すると言ったほうがよい。論理とは存在についての判断であるが、その存在(の実体性)を否定するのであるから、そもそも論理が成り立たないのである。

中論もそのことは自覚していて、ニルヴァーナについての説明は、否定的言辞をもってするほかはないという。そこで、ニルヴァーナについての否定的な言辞が羅列され、そこからすこしでもニルヴァーナのイメージを浮かび上がらせようとする試みがなされる。しかしその結果、ニルヴァーナについて明確なイメージが得られるわけではない。一つだけ言えることは、次のようなことだ。言辞は一応論理に従ったものであり、その論理は存在についての一定の判断を含むものだ、その判断によってもたらされるものは、世俗的な分別知にすぎない。涅槃を含めた仏陀の教えの神髄は、世俗的な分別知を超越せよというものであるから、涅槃についての明確な分別知が得られなくとも、それはそれでよいというのである。それが、中論の基本的な立場である。

では、その否定的言辞をいくつか見てみよう。まず、ニルヴァーナは有(存在するもの)ではない。なぜならニルヴァーナは老いて死するという存在するものの特質をもたないからである。また、ニルヴァーナが存在するものならば、それは作られたもの(有為)であろう。だがニルヴァーナは自己のうちに根拠をもつのであり、作られたものではない。あらゆる存在するものは、その存在の根拠をほかのあるものに依っているのである。

ニルヴァーナが存在するものではないとすれば、それは存在しないところのもの(無)だろうか。この問いに対しても中論は否と答える。無は存在を前提とする。存在がなければ無もなりたたない。つまる無は、存在という無にとっての他のものに依拠している。ニルヴァーナは、その根拠を他のものに依拠しないのであるから、言葉の定義からして無ではありえない。(以上の議論は、非存在=無という前提のものでなされているが、中論は他の部分で、空と無とは異なったものだと言っている。空は非存在ではあるが、無ではない、というのである。だからここで非存在を無と訳しているのは適切ではないかもしれない)

ともあれ、以上をふまえて中論は、「ニルヴァーナは有(存在するもの)に非ず、無(非存在)に非ず」と結論付けるのである。これを形式論理的にいえば、ニルヴァーナは存在することなく、また存在しないこともないということになり、排中律と矛盾する判断ということになる。しかし、そのことを不都合とは思っていない。排中律は世俗的な分別知を成り立たせるものである。ここで問題となっているのは、世俗的な分別知ではないので、その分別知を支えるものとしての形式論理が破綻するからといって、驚くべき筋合いのことではないのである。

ところで仏教の普通の理解では、ニルヴァーナは輪廻からの超脱と考えられている。このことについて中論は次のように言う。「輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者の間には最も微細なるいかなる区別も存在しない」

つまり、ニルヴァーナと輪廻とは区別されるべきではないということだ。ということは、両者は同じものだと言っているのであろうか。どうもそうでもないらしい。涅槃が輪廻からの離脱から得られるという思想は仏教の常識となっており、いかに中論といえども、それを否定するわけにはいかない。中論が言いたいのは、同一とか別異とかいうことにこだわる態度がけしからぬということのようである。そういう議論を中論は戯論といっている。ニルヴァーナは、そうした戯論とは無縁のものなのである。この章の終わりは次のような言葉で結ばれている。「(ニルヴァーナとは)一切の認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい(境地)である。いかなる教えも、どこにおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったので






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