加藤周一の世阿弥論

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加藤周一は、世阿弥の能楽論を評して、日本における芸術論の稀有なものだと言っている。日本には、平安朝以来の歌論の伝統があるが、それ以外では、芸術論として見るべきものがほとんどないというのである。しかも、世阿弥の芸術論は、通常の意味での芸術論ではない。通常の意味での芸術論は、一般の読者を想定して、芸術の意義を論じるものだが、世阿弥の場合には、自分の後継者に向かって、自分自身の個人的な体験を語っており、その目的は、家業としての能楽を自分の後継者に身をもってわかってもらうことであった。

そうした世阿弥の姿勢には、いくつかの背景が働いていたという。まず、能楽は、和歌のような伝統をもたなかった。しかも和歌が上流階級の教養としての文化的位置づけを獲得していたのに対して、能楽は下層階級の慰み事から始まり、もともと粗野な部分を抱え込んでいた。文化的伝統といえるようなものは、世阿弥の時代の能楽にはなかったわけである。二つ目として、新興の芸能であった能楽は、厳しい競争にさらされていた。田楽との競争は有名なことであるし、能楽師内部の競争も激烈だったようである。世阿弥は、将軍の交代によって大きな境遇の変化にさらされたが、その背景に厳しい競争があったと考えられる。そうしたわけであるから、世阿弥にとっては、まずは自分とその子孫とが生き残っていくことが重要なことだった。生き残るためにもっとも必要なことは、観客の支持を取り付けることである。世阿弥の能楽論を一言で特徴づければ、いかに観客の喝さいを獲得するかについての心得を記したものだということができる。

加藤周一の世阿弥論は、以上のような前提に立って、世阿弥の能楽論の要諦を論じたものである。ここでは、小論「世阿弥の戦術または能楽論」をもとに、加藤の世阿弥論を読み解きたいと思う。

加藤の世阿弥論は、世阿弥のこだわった「花」という言葉を中心にして展開する。この言葉は普通、世阿弥の能そのものを特徴づける概念として使われている。世阿弥の能の特徴を「花」と見るのである。そうした見方を加藤は退ける。この言葉を加藤は、世阿弥が観客を喜ばすという意味で使っているというのだ。観客を喜ばせるのは、どんなものでも「花」と呼ばれる。要するに「花」は、機能的な概念であって、実質的なものではないのだ。

能楽の実質に関する概念としては「幽玄」があるという。「幽玄」の内実は必ずしも明確ではないが、具体的には「夢幻能」のなかで展開されるような雰囲気のものである。「夢幻能」の基本的な特徴は、複数の時間軸を往復しながら展開していくということで、その点では、父親の観阿弥が得意とした「現在能」とは違う。「現在能」はリニアな時間軸にそって展開していくが、世阿弥の夢幻能は、過去が現在とがまじりあい、また、彼岸と此岸とが往来しあう。

ところが、通常の見方では、「花」が実質的な概念とされることで、「幽玄」と混同されることとなった。この二つの概念は次元を異にしたものであるのに、同じレベルで考えるから、そういうことになる。「花」はあくまでも、観客を喜ばすためにはどうしたらよいかに関する、きわめて機能的でしたがって功利的な概念なのだ。

その機能的で功利的な概念を加藤は、「戦術上の考慮」と呼んでいる。この論文のタイトルにも「戦術」という言葉が使われている。要するに、観客の支持をとりつけ、同業者との競争にかつためにはどうしたらいか、ということについての戦術を記したものが世阿弥の能楽論だというのである。世阿弥のいう「秘伝」あるいは「秘する花」とは、見物人及び他の役者に対する戦術上の秘密にほかならないというわけである。

ところで、世阿弥の夢幻能には、仏教的な雰囲気の充満していることが指摘できるが、それをもって世阿弥が仏教的な世界観を持っていたということにはならない、と加藤は言う。「仏語の引用は、著者の仏教に関する知識を示しても、仏教的価値への、あるいは世界観への、著者の『コミットメント』を示すものではないし、仏教思想と芸術論の内容との密接な交渉さえも示すものではない」と言うのである。

以上、加藤がこの小論で試みたのは、加藤自身の言葉でいえば、「世阿弥の脱神秘家」ということであった。





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