肉体の冠:ジャック・ベッケル

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ジャック・ベッケルの映画「肉体の冠(Casque d'or)」を小生が見たのはまだ若いころのことだが、そのさいには強烈な印象をもったことを覚えている。爾来小生はこの映画を、フランス映画を代表する作品の一つと思うようになった。

数十年を経て再鑑賞してみて、自分がなぜこの映画にいかれてしまったかについて、いささか考えさせられるところがあった。映画の出来を見るかぎり、とても傑作だとはいえないし、ストーリー展開もありふれている。人をわくわくさせるような迫力があるとは、どうしても言えないのだ。だが、やはり魅力はある。その魅力は、シモーニュ・シニョレという女優の類まれな素質によるのではないか。この映画は、ひとえに彼女の存在感の上になり立っているようなものだ。これほど大きな存在感を見る者に抱かせる女優は、めったにいるものではない。

そのシモーヌ・シニョレが惚れた男を演じたセルジュ・レジャーニが、またすばらしい演技ぶりを見せている。この男がシニョレに惚れられるところを見せられると、男冥利につきるとはこういうことだと思わされる。男にとって、女だけが問題の中心であるわけではないが、しかし粋な女に惚れられるというのは、すてきなことだ。

この映画の中のシモーヌ・シニョレは、商売女を演じていることになっているのだが、彼女はかりそめの愛を求める女ではなく、命をかけて愛を求める女を演じている。その表情には、この男一人のために生きたい、という情熱がこもっている。そうした点でシニョレはフランス女にはめずらしいタイプである。フランス女は、尻軽で移り気な生き方を当たり前と思っているフシがあるが、シニョレにはそういう浮ついたところはない。変わらぬ愛に生きるのが女として幸せな生きかただと思っているように感じさせる。

そういう点でこの映画は、フランス女の生き方について考えさせる作品である。ボヴァリー夫人だけがフランス女ではない、と言っているように聞こえる。

なお、原題は「黄金の兜」という意味だが、それがなぜ「肉体の冠」という邦題になったか、くわしくはわからない。





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