サルトルのボードレール論:実存的精神分析

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サルトルのボードレール論は、かれの言う「実存的精神分析」を適用したものである。これはフロイトの精神分析に対抗したものであって、その概要については、「存在と無」のなかで触れられている。それをごく単純にいうと、人間とは彼の自由な意思(意識の選択)の産物であるというものだ。フロイトは、無意識とか言語といった、個人の意識のコントロールに服さない要素が個人の生き方を決定づけると考えたわけだが、サルトルはそいいう考えを完全に否定し、個人はかれの自由な意思の産物であり、その自由な意思の担い手である意識の範囲が、かれの人生全体と重なり合うと考えた。そうならば、デカルト的な明晰な意識を分析すればすむ問題であって、なにもフロイトの無意識を思わせる精神分析というような言葉を使わずに済むだろうと思うのだが、なにしろフロイトの影響力はすさまじく、人間の精神を論じる時にそれを無視するわけにもいかない。そこでとりあえず精神分析という言葉を使いながら、それにサルトル得意の実存的という言葉を重ね合わせたわけであろう。

実存的精神分析は、個人の自由な意思の選択がかれの生き方を決めるとするわけだから、その考えをボードレールに適用すると、ボードレールもまた自己の自由な選択によって自分の生き方を決めたということになる。ボードレールの場合、その選択のスタイルには一定の傾向がある。その傾向は彼の育ちに根差しているのだが、サルトルは、それを他律的なものとは考えずに、あくまでも、ボードレール自身が選択した結果だと主張した。ボードレールの特異な生き方は、彼の自由な選択の結果だったというのである。

ここで、ボードレールの特異な生き方とか、傾向とかいったものは、ダンディズム、反自然主義、人工主義、冷感性といった言葉で表現されている。もっと単純化すると、自然への嫌悪感と人工的なものへの偏愛ということになる。そうした傾向は、ボードレールの幼いころに形成されたとサルトルは言う。幼い頃の体験は、フロイトも言うように、体験した本人の自覚とは別の次元で働きかけると考えられがちだが、サルトルはそうは考えない。いくら幼い頃の体験でも、それは本人が自由に、意識的に選択したものだと考える。幼い頃の意識は、多少明晰さで劣るとはいえ、意識であることにかわりはなく、その意識がかれの選択の土台となる、と考えるわけである。

人工的なものへのボードレールの偏愛は、秩序への信頼という形をとったとサルトルは言う、ボードレールというと、とかく反秩序のイメージが強いが、じつは、秩序のうちに精神の安定を得るタイプの人間だったと言うのである。かれが反秩序的な行動をたびたびしたことはまぎれもない事実であり、したがって、かれが秩序を信頼していたというのは奇異に聞こえるが、じつは、かれが反秩序的な行動を起こすのは、秩序の権威を確かめるための逆説的な行為だというのである。

ともあれボードレールの生涯は、かれの選択の結果だったというのがサルトルの基本的な見立てである。ボードレールの生涯についてのサルトルの次のような言葉は、そうした事情を完結に言い表している。「人間が自らについて行う自由な選択は、彼の宿命と呼ばれるものと、完全に一致する」(佐藤朔訳)

ボードレールには、自分のそうした選択についての傾向性を決定づけるような事態が人生に二度あったとサルトルは言う。一度目は、幼年時代に母親が他の男と再婚したことだ。そのことによってボードレールは、深く傷つけられるとともに、人生についての消極的な考え方をするようになった。ボードレールには、人生についてのなげやりな傾向が顕著であるが、それは幼年時代に体験した喪失感から来ているとサルトルは言うのだ。

二度目は、ボードレールが二十四歳の時に起った。その年かれは、自殺の決意を語る有名な手紙を書いているが、その手紙が物語っているのは、自分自身に対する無益感である。かれは自分が無益で余計な存在であることを思い知った。そこでこの世に生きていてもしょうがないからと自殺を思い立ったわけだが、生き延びた後でも、その無益感は存続しつづけた。かれは以後死ぬまで、自分は余計者だという自覚を持ちながら生き続けたのである。

そんなわけであるから、ボードレールの生涯は、二十代の半ばで決まってしまい、それ以後は、単に余計な時間を生きたに過ぎないということになる。それが有意義な生き方といえないことはいうまでもない。そうした「彼の生活ほど沈滞した生活は少ない。彼にとっては、二十五歳の時に、賭けは終わっている。すべては静止し、勝ち目も出尽くし、結局は永久に負け越しになっている。1846年、彼はすでに財産を半ば費い果たし、大部分の詩を書き終え、両親との関係は決定的な形をとり、徐々に身体をむしばむ性病にかかり、生涯を通じていつも重荷になる女に出会い、全作品に異国的なイマージュを供給する旅行もすませていた・・・三十歳にだいぶ間のあるうちに、思想も定まり、その後はこれを反芻するだけだった」

ボードレール論としては、かなり否定的な断言であふれた批評ぶりである。たしかにボードレールには、世の中を馬鹿にし、すねた態度をとるところがあるが、それがかれのすべてではない。自然を嫌い、人工的なものを偏愛したとサルトルはいうが、「コレスポンダンス」のように、自然と人間との調和を歌った作品もある。だいいち、サルトルがボードレールの創作までが二十代半ばで終わったと言っているのは正しくない。ボードレールが「悪の華」に収めた詩の大部分は、二十代半ば以降に書かれたのであるし、それらの詩編の中には、人間への信頼を感じさせるものは少ない。また、生きることについての根源的な感情というべきものを歌っているものもある。一概に単純化することは、ボードレールの実像から離れることになる。

だからサルトルの次のような断定的言い方は、ボードレールにとって公平とは言えない。サルトルは言うのだ。ボードレールは「創造はしない。たびたび引っ越しをしながら、一度も旅行をせず・・・年々歳々相も変らず、年を取り、陰鬱になるだけで、精神は貧しく、にぶくなり、肉体は衰えるだけであった。そして、最後の発狂は、彼を一歩一歩あとづける者には、意外な事件ではなくて、衰頽の必然的帰結のように見える」。

「見える」というよりは、そのようにしかサルトルには見えなかったのであり、それはサルトルがボードレールを無理に「実存的精神分析」の枠組に押し込んだ結果といえるのではないか。






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