ジャン・ベッケル「クリクリのいた夏」:沼地に暮らす人々

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1999年のフランス映画「クリクリのいた夏(Les Enfants du marais)」は、貧しいながら誇り高きフランス庶民のつつましい生き方を描いた作品。監督のジャン・ベッケルは、「モンパルナスの灯」などで知られるジャック・ベッケルの息子である。父親はエンタメ性の高い映画を手掛けたが、息子のほうは、ほのぼのとした人情劇が得意なようだ。

原題(沼地の人々」にあるとおり、都市郊外の森の中の沼地に暮らす人々を描く。沼地に暮らす人とは、日本でいえば河原者のイメージで、要するにホームレスに毛の生えたようなものだ。日本のホームレスは、社会の迫害におびえるばかりだが、フランスのホームレスはそうではないらしい。この映画に出てくる人々は、粗末ながらも一応しっかしりた小屋掛けに住んでおり、文字どおりのホームレスとは言えないが、実際にはそれに近い境遇だ。だがかれらは卑屈にはならない。自分の生き方に誇りをもっている。裕福な友人がさしのべる援助の手も押し返してしまうのだ。

たいした筋書きはない。三人の小さな子を持つ夫婦と、流れ者の中年男、そしてかれらの共通の友人たちが何人か。その連中が、それぞれ気ままに暮らす中にも、時には人間性の機微に触れるような事態にも直面するといった具合だ。

邦訳のタイトルになったクリクリとは、家族連れの一家の末娘の名前だ。クリスチーヌの愛称なのだろう。その子が主役というわけではなく、また彼女の視点から描かれるというわけでもない。主役は沼地に暮らす大人たちであり、とくに流れ者の中年男の視点に寄り添うように描かれている。にもかかわらず、この映画で描かれることがらは、クリクリが成人したあとの回想という形をとっている。その回想の中で、流れ者の中年男は特別な輝きを放ち、また、金持ちの孫の少年も彼女の初恋の相手となる。彼女はわずか四つか五つの年齢で初恋をするのだ。その恋は実り、成人したカップルは幸せな結婚をしたというメッセージが発せられる。

クリクリと中年男は、隣接した小屋に住み、一緒に仕事をしている。夜半に家々を回り、歌を門付けして、いくばくかの布施にありつくのだ。そんな折に出会ったメイドの娘に中年男は恋をする。しかし娘は小金を持った男と結婚してしまう。失意のかれは旅に出るのだったが、それは奪われた恋人を取り返すための旅だとクリクリは思うのだ。フランス人は、男も女も自分の欲求に誠実なのだといわんばかりに。

そんな具合に、なかなか心温まる映画である。クリクリの父親は、第二次大戦中に死んだとされるが、かれは元ボクサーと一緒に戦場の花となったのだった。その元僕ボクサーとちょっとしたいざこざをおこし、一時は命を狙われたのだったが、沼がかれらの間に入って、仲直りさせたのだった。この沼は、人間に無限の恵みをもたらすものとして描かれているのである。日本ならさしづめ河原ということになろうが、今の日本には、河原が人に恵みをもたらすことはない。






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