赤と黒:クロード・オータン=ララ

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クロード・オータン=ララの1954年の映画「赤と黒(Le Rouge et le Noir)」は、スタンダールの有名な小説を映画化した作品。原作は近代小説の手本といわれるもので、小生は青年時代に読んだ。その折には、体が震えるほど感動したことを覚えている。小生にとって決定的な文学体験であった。

スタンダールの小説は、近代小説の手本になったほどで、精密な心理描写が持ち味である。だからイメージ中心の映画からは、原作の雰囲気の一部しか伝わってこない。だがジュリアン・ソレルを演じたジェラール・フィリップの華麗ともいえる演技のために、映画のもつ可能性がせいいっぱい開いたといえる作品だ。ジェラール・フィリップは、戦後のフランス映画を代表する俳優で、小生も好きなタイプだ。

テーマは、下層階級の息子が上層へ成り上がろうとして、頭をはねられるというものだ。なんといっても、自尊心の強いソレルが、俗物どもを相手に自己を主張するというところに原作の眼目がある。映画もそのへんを無難に描出している。それにはジェラール・フィリップという俳優の持ち味が十分に生かされているという事情がある。ジェレール・フィリップには、女心を揺さぶるようなセクシーな要素と並んで、少年のようなひたむきさを感じさせるところがある。この映画には、そのひたむきな雰囲気がよく出ている。

冒頭の裁判のシーンで、ソレルは、自分が裁かれるのは罪を犯したためではなく、労働者の分際で上流社会にのし上がろうとしたことを憎まれたためだと主張する。それがスタンダールのそもそもの思想を反映したものかどうかはわからない。ただ、スタンダールはナポレオンの賛美者であり、王党派に対立して共和主義を擁護したというから、伝統的な上流社会への反感はもっていただろうと思われる。

映画は、やはり大衆向けの娯楽であるから、大衆の趣味に迎合したところがあるのは避けられない。その趣味をこの映画では、ソレルの女性遍歴として表現している。フランス人は男女ともにセックス好きで、男女の渡り合いは、文学・演劇通じてもっとも好まれる主題。だからこの映画も、ソレルの自尊心に焦点をあてるよりもかれと女たちとの恋のさや当てに焦点をあてているのは、興行上の利害にも一致しているのである。

ソレルは無神論者として死んでいく。日本の死刑囚は神のことなどほとんど考えないと思うし、また、刑吏も宗教に言及することはない。ところがフランスでは、死刑に及んでも、神のことを考えさせられるようなのだ。そのソレルは、今でいえば殺人未遂で起訴されたのであるから、場合によっては、つまり神の前で懺悔すれば、罪一等を減じられたかもしれない。しかし自尊心の強いソレルは、命乞いのために神の前にひざまづくことを拒否する。昂然としてギロチンに向かって進むのである。映画はそのソレルの後ろ姿を映しながら終わる。かれの頚がはねられる場面は映さない。






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