ふぐに舌鼓を打ちカラオケで喉を鳴らす

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例の四方山の旅仲間と忘年会を催した。場所は四谷荒木町のふぐ料理屋「しほせ」。石子が時節柄是非ふぐを食いたいというので、浦子がなじみの店に設定したのだった。その店は、車力門通りの奥まったところ、稲荷社の近くにあった。下り坂の途中である。

五時半には四人そろった。早速ふぐさしを食いながら乾杯した。ここのふぐさしは、薄造りのほかに皮の刻んだのがついていて、食いがいがある。さしみに続いて白子の焼いたのが出てきた。これがなかなかクリーミーで、すこぶるうまい。その上、フグのから揚げがかさなる。われわれはひれ酒で喉を潤しながらも、フグのために舌を動かすのに余念がなく、言葉を出すほうはつい疎かになる。それでも時節の挨拶とか、老境の楽しみといった話題に興を移すことは忘れない。

浦子はこの界隈になじみの店が多いようだが、なにかいわれはあるのかいと聞いたところ、勤め始めの頃に先輩に連れられてこの界隈を歩き回ったのだそうだ。その後社用族となって赤坂や銀座を飲み歩いたが、老年が近づくころに再びこの界隈に戻ってきた。ここらは都心にしては静かで、なかなか趣のある店が多い。そこでわびをさとるほどの年になって、この界隈にはまるようになったのだという。

そのうちてっちり鍋をつつく段になった。肉厚なふぐが大きな皿いっぱいに盛られている。食いきれないほどだ。岩子が細君にもふぐを食わせてやりたいというので、いづれこの店に連れてきてやったらいいと言いながら、フグや野菜の残りを包んでもらって、持たせてやった。家に帰ったら、これを細君と一緒に食うがよろしい。

石子のほうは、これは新婚ほやほやということらしい。かれは自分でフグを食うばかりで、細君を連れて来て食わせてやろうとはいわなかった。

仕上げにてっちりの鍋で雑炊を作って食った。浦子が味付けをしたが、これがすこぶるうまい。かれは料理が趣味で、家では賄いを担当しているそうだ。石子も最初の細君を早くなくしたこともあり、料理は好きというほどではないが、必要に迫られてするそうだ。小生も毎日自分の昼飯をつくるために料理をしているよといったところ、独り岩子だけは料理とは縁がないといった。

ところで我々が学生時代に一番演説がうまかったのは誰だったかね、と妙な方面に話題が飛んだ。色々な名前があがったが、どれもうまい演説とは結びつかなかった。学生の頃の我々は、あまり論理的ではなかったし、また人を説得できる技量も持ち合わせていなかったということらしい。多少論理的な話をできる奴は、人に訴えかける熱が欠けているし、熱情的な奴は非論理的だったというわけだ。非論理的ではあったが、支離滅裂というほどでもなかった、というのがせめてものさいわい。中には支離滅裂に近い奴もいたがね。

フグを食った後は、例のガウチョのおじさんの店に席を移した。おじさんは、半年ほど前にガンの治療をしたそうだ。だが年齢からして手術をすることは考えていない。おじさんは今年八十二になり、ガンの進行もおそく、死ぬまでの間にガンが致命傷になることはないだろうという判断からだ。

今回は忘年会ということで、久しぶりにカラオケを楽しもうではないかということになった。まづお前が歌えといわれ、小生はロシア民謡の「カリンカ」を歌った。なにしろ何年も歌ったことなどないので、声が出てこない。石子が二番目に歌ったが、こちらはよく声が出る。かれはフランク永井の曲ばかりを歌ったのだが、声の質がフランク永井に似ていて、なかなか聞かせる歌い方だ。浦子もよく声が出ていたが、それはそのはずで、かれは合唱団に加わってしょっちゅう発声練習をしているのだそうだ。合唱団の楽しみは、歌う楽しみに加え、指導してくれる女性の魅力に接することにある。その女性はのぞみちゃんといって、なかなかチャーミングなのさと浦子はのろける。

マスターも歌ったらどうかねと皆ですすめたところ、マスターのおじさんは「街の灯り」とか若者の歌などを歌った。マスターはいわゆる六十年安保の世代で、当時学生の間ではやった歌がなつかしいのだそうだ。我々は七十年世代だが、我々の頃はカルメン・マキだとかピンキーとキラーズの歌が流行っていた。今日はカルメン・マキの歌を歌おうといって、浦子が「母のない子のように」を歌った。

小生は、続けてシャンソンだとか青江三奈の歌を歌った。シャンソンはフランス語の歌詞で「Sous le ciel de Paris」を歌った。青江三奈の「長崎ブルース」を歌ったときは、前よりも多少声が出るようになった。この歌は先考が好きだった歌で、小生は歌いながら先考の面影を思い浮かべ、ついむせてしまうのだった。小生がその「長崎ブルース」を歌ったわけは、岩子がたてつづけにご当地ソングを歌ったことに刺激されてのことであった。

こんなわけで今宵は、フグに舌鼓を打った挙句に、カラオケで喉を鳴らして憂さを晴らした次第だった。





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