鷲田清一「メルロ=ポンティ」を読む

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鷲田清一は、日本におけるメルロ=ポンティ研究の第一人者である。講談社学術文庫から出ている「メルロ=ポンティ」は、文字通りかれのメッロ=ポンティ研究の包括的な業績といえる。メルロ=ポンティの生涯にわたる思想の流れを、変わらぬところと変わったところを明らかにしながら、丁寧にたどったものである。かれのメルロ=ポンティに対する私的な感慨が漏れてくるところもあるが、全体として、メルロ=ポンティの思想をありのままに提示しようとする姿勢が感じられる。

従来のメルロ=ポンティ研究の主流は、「知覚の現象学」を中心にしたものだった。メルロ=ポンティは比較的若く(53歳で)死んだということもあり、初期の著作でかれの思想の全体をカバーしようとする傾向が強かったからだ。ところが鷲田は、遺稿集「見えるものと見えないもの」を重視し、初期の思想と晩年の思想との間に変化が見られると指摘したうえで、何が変わり何が不変の部分だったかを解明しようとしている。あまり単純化してはいえないが、フッサールの現象学によりながら、フッサールが経験の地盤とした意識にかえ、身体を重視したことが、メルロ=ポンティの生涯を通じて変わらない部分であるとしながら、その身体の世界とのかかわり方についての思索に、変化が認められると考えたということだろう。

「知覚の現象学」は、フッサールの現象学を踏まえながら、意識ではなく身体を重視したものだった。身体を重視するということは、人間を意識の主体として考えるのではなく、身体そのものと考えることである。その点では、同じく現象学から出発し、フッサール同様意識を重視したサルトルとは異なるところだ。サルトルの現象学は主観ー客観の二項対立に決定的にこだわりながら、人間を主観としてとらえる考えに立っている。それに対してメルロ=ポンティは、身体性を重視することで、人間を意識としての主観ではなく、身体として生きることで、世界との間に密接なかかわりあいをもつ存在と考える。もっとも、メルローポンティにおいても、自己の主観的な性格は完全になくなったわけではない。意識が身体にすり替わっただけで、その身体が主体的な自己として世界を対象的に把握するというような構図の痕跡は残っている。にもかかわらず、メルロ=ポンティの新しさは、それまで西洋哲学が軽視してきた身体の問題を主要なテーマとして設定したことにある。その点は、フッサールを超えてデカルトに直接つながるサルトルとは大きな違いである。デカルトとサルトルとはストレートに結びついているが、メルロ=ポンティとデカルトとの間には溝がある。

身体としての人間というメルロ=ポンティのテーゼは、生涯を通じてかわらなかったと鷲田は一応抑えたうえで、初期と晩年とではニュアンスの違いがあると指摘する。「知覚の現象学」を中心とした初期の著作のなかでは、人間を身体としてとらえたうえで、その身体に主体性をもたせるような傾向が指摘された。身体が意識になり代わったといった所以である。その身体は、意識の宿るところであるという意味で、意識の拡大したものだといえないこともなかった。ところが晩年に向かって、そうした身体の主体性とか自律性とかいった性格が薄められて、身体は意識の基盤としてよりも、世界の一部であるというふうに捉えなおされるようになった。身体と世界とは、(デカルトやサルトルにおけるように)二項対立の関係にあるのではなく、たがいに浸透しあう関係にある。浸透しあうというのは、一応別々のものが相互にかかわりあうという意味であって、その別々のものが、それ自体としての自主性をもつことを否定するわけではない。

そういうわけであるから、メルロ=ポンティは、晩年に向かいながら、身体の自律性を完全に否定するのではなく、その自律性をある程度認めながら、身体が世界とどのようにかかわりあうのかについて、議論を方向づけしたといえる。「可逆性」とか「肉の存在論」とか称される概念は、そうした身体と世界とのかかわりあいについて語ったものである。

こうしてみると、メルロ=ポンティの変わらなかった部分とは、人間を身体として捉える見方であり、変わった部分とは、その身体が世界との間でどのような関わり合いを持つのかについての捉え方であったといえる。身体としての人間は、「知覚の現象学」の時点では、まだ主体性を十分にそなえていた。ここで主体性というのは、世界との間で二項対立的な関係を取り結ぶという意味である。それが晩年に向かうにつれて、身体の主体性が薄らいでいく。それにしたがって、身体と世界との間の二項対立的な関係は薄まって、ついには身体は世界のうちに吸収されるようになる。身体も世界も同じものでできている。その同じものが、見方によって世界に見えたり、身体に見えたりするというふうになっていくのである。

そうした世界の見方には、スピノザを思わせるものがある。鷲田は、メルロ=ポンティとスピノザとの関係について言及してはいないが、人間を世界の一部だとする見方は、西洋哲学の伝統から外れている。そういう考え方はスピノザのような異端からしか生まれてこない。メルロ=ポンティはユダヤ人ではないが、キリスト教的なもの(西洋思想の伝統を基礎づけるもの)を相対化する視点をもっていたようである。





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