神代辰巳「もどり川」:大正ロマンポルノ

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神代辰巳の1983年の映画「もどり川」は、大正ロマンポルノというふれこみだった。大正時代に舞台設定して、自分本位な男が女たらしを繰り返すというよな内容だ。神代らしく、濡れ場だけではなく、ストーリーでも観客を楽しませようと思ったようだが、観客としては、この映画のストーリーに興味をもてることはないのではないか。ストーリーはごく退屈である。その退屈さを絶え間なく続く濡れ場のシーンがおぎなっているというのは、ポルノ映画であるから当たり前のことだ。この映画から、濡れ場の迫力を取り除いたら、気の抜けたビールのように味気ないものになってしまうだろう。

萩原健二演じる自称歌人が、次々を女をかどわかしては、セックスを楽しむ。相方を演じる女優は、原田美枝子とか樋口可南子とかそれなりにつぶを揃えているのだが、どうも個性が感じられない。それは、彼女らが意思とか感情をもった一人の女としてではなく、男の欲望の対象としての肉の塊として出ているからだろう。じっさい多くの女優が出てくるのだが、彼女らの顔が見分けられないほど、みな似通った顔をしているのである。

雰囲気としては、二年前に話題になった鈴木清順の「陽炎座」に似ている。鈴木清順も大正ロマン的な雰囲気の連作を作ったりして、中にはポルノめいた作品もあった。神代はその鈴木清順を意識してこの映画を作ったと思われる。鈴木清順の映画の大正ロマン的な雰囲気を生かしながら、それに男女の痴情をからませるというやり方で、清順ふうの大正ロマン趣味と神代本来の猥褻さを融合させたつもりなのかもしれない。

そういう意味では、手の込んだポルノ映画なのだが、問題は神代がこの作品をカンヌに持ちだしたことだ。フランスの映画好きたちは、この映画を結構楽しんだらしい。その理由はおそらく、それまで貞淑というイメージが流通していた日本の女たちが、フランス女に劣らず好色だということを、この映画に見出してほくそ笑んだことにあるようだ。もしフランス人たちにそのような印象を与えたとすれば、神代は日本人の女性たちにひどいことをしたと言わねばなるまい。神代は、日本人女性の最大の敵とよばれる資格がある。

ストーリーには大した意義はないので、ここでは触れない。ただひとつ、主人公の歌人を演じた萩原健一の演技ぶりが、いまひとつ迫力にかけると言っておきたい。萩原はボーットした表情が、どこか頭の足りなさを思わせて、そこが女性の心を捉えるといわれるが、ポルノ映画の観客は大部分が男なのだから、男として女の肉体を征服するさまを、威勢よく見せてやらねばならぬところを、この映画の中の萩原は、女を征服するのではなく、征服されているのである。たしかに自分から女にしかけることが多いのであるが、一旦濡れ場にはいると、女のほうが俄然張り切る。そこにフランスの観客は日本人女性の好色性をかぎ取るに違いないのだ。

フィルムの状態もあるのかもしれぬが、画面が非常に暗い。男女のセックスをもっぱら描くのであるから、画面が多少暗くなるのはしかたがないが、あまり暗くなったために、女の顔が見分けられないのでは、映画を見る興趣がそこなわれるのではないか。





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