チェコ・ウクライナ映画「異端の鳥」:ナチス時代のユダヤ人迫害

| コメント(0)
checo02.itan.jpeg

チェコ・ウクライナ合同制作による2019年の映画「異端の鳥」は、ナチス時代のユダヤ人への迫害をテーマにした作品。一人のユダヤ人少年が、ナチス支配下の東欧において、途端の苦しみをなめながら放浪するさまを描く。せりふがほとんど発せられないので、観客は強いストレスを感じる。かれが迫害される理由がユダヤ人であることも、映画がかなり進んだ時点で理解されるのである。そのたまに発せられるせりふというのが、インタースラヴィックという、スラヴ諸国語を合成した人工言語だというから、よけいにわけのわからぬところがある。実験的な色彩の強い映画といってよい。

映画は、その少年が小動物を抱えて森の中を走るところを映すことから始まる。少年はだれかに襲われて、小動物は焼き殺されてしまう。家には叔母が待っていて、ひどい目にあったのは自業自得だと説諭する。一人で外へ出ては危険だというのだ。その言葉には、ユダヤ人への迫害がほのめかされているのだが、その時点ではそのことは明らかになっていない。映画が進むにつれて次第に明らかになってくるのだ。

叔母が死んで、住んでいた家も火事で焼けてしまい、少年は故郷へ戻る旅に出る。とはいっても、幼い少年には故郷へ通じる道がわからない。ただひたする放浪するのだ。その放浪の途次、さまざまな人間たちからすさまじい迫害を受ける。行く先々で悪魔のレッテルをはられ、ひどい虐待を受けるのだ。中には人間的な心をもったものもいたが、それは例外で、ほとんどの人間は少年をわけもなく虐待するか、あるいは性的に搾取するかだ。そういう場面が延々と続く。この映画は三時間近い長編作品なのだが、その長い時間のほとんどすべてが少年に加えられる迫害を描いているのだ。

少年が放浪する地がどこなのかについては、明確なメッセージはない。ナチスの時代にポグロムが行われた主要な地帯にウクライナが含まれること、また、ナチスと結託したコサックが、住民を攻撃するところからして、ウクライナである可能性が高いと感じさせる。この映画は基本的にはチェコ映画なのだが、ウクライナが共同制作となっている。おそらく大部分ウクライナで撮影されたのであろう。どこまでも広がる草原の風景は、チェコではなくウクライナと考えるのが自然である。

この映画の直接的なメッセージは、人間がほかの人間に対して残酷になれるということである。その残酷さを、ナチスばかりでなく、東欧の一般庶民も共有している。かれらは無力な少年に対して無慈悲に暴力を加えるのだ。もっともナチスの残虐さはそれ以上に強烈に描かれている。かれらはユダヤ人たちを、まるで家畜を屠殺するようにあっさりと殺すのである。こんな場面を見せられると、ドイツ人はいつまでたってもナチス時代の責任を問われ続ける運命にあると思わせられる。

少年は最後に父親と再会する。戦争が終わったあとのことだ。少年は自分を捨てた父親を許すことができず、心を閉ざしたままだ。父親は、それしか選択の余地がなかったといって弁解するが少年は許さない。かれはその怒りを攻撃衝動の爆発という形で表現する。そのことでやや昇華されたこともあるのだろう。少年は父親の腕に強制収容所の烙印を見て、やっと心を開くのである。

なお、タイトルの「異端の鳥」とは、少年の境遇を象徴した言葉だ。映画の中で、空を飛ぶ小鳥の集団に別の小鳥を放ったところ、寄ってたかって攻撃する場面が出てくる。鳥もまた排他的なのだ。その異端の鳥に、少年は似ているといいたいのであろう。





コメントする

アーカイブ