加藤周一の夏目漱石論

| コメント(0)
加藤周一の夏目漱石論「漱石における現実」は、1948年、つまり加藤がまだ20代の時に書いたもので、若書きにありがちな気負いを感じさせる。加藤がその後本格的な漱石論を書かなかったのは、この小文の中に漱石について自分の言うべくことが尽くされているということらしい。

加藤の漱石論の神髄は、本人が後年の「追記」のなかで書いているとおり、「明暗」を漱石の最高の小説とすることだ。「明暗」に比較すれば、「こころ」をはじめほかの小説は、たいしたことはない。「『猫』は、全く読むにたえず、『虞美人草』の太平楽は、馬鹿馬鹿しい」

この意見には小生も同意できるところがある。小生も「明暗」を漱石最高の傑作と思っている。ただし、その理由は異なっている。

「明暗」が小説として優れている理由を、加藤は二つ挙げている。一つは内容にかかわるものであり、この小説が人間の現実を赤裸々に描いたというものだ。もう一つは形式にかかわるものであり、この小説が西洋近代小説の形式上の王道にしたがい、綿密な構成をもっているということだ。

人間の現実についていうと、それは情念ということになる。人間は知的な生き方をする以上に、情緒的な生き方をしている。その情緒とか情念をありのままに漱石は描こうとした。それは「こころ」のような小説では十分に描き切れていなかったが、未完におわったとはいえ、「明暗」において遺憾なく実現された。明治・大正を通じての日本文学の中で、この小説ほど、人間の情念を赤裸々に描いたものはない。加藤は文学の本質を、人間の情念を表現するということに見ているようで、そうした見方からすれば、「明暗」はじつに優れた作品ということになろう。

小説の構成という点では、この小説は、ヨーロッパの近代文学において成立した小説の技法を忠実に採用している。ヨーロッパの近代小説は、リチャードソンの「パミラ」に始まるというのが加藤の見立てであるが、「パミラ」はイギリスの小市民層の生活を、その独特の意識を絡ませながら描いていた。それが模範となって、スタンダールからフローベールにいたる近代小説の大きな流れを形成してきた。漱石はその流れに乗る形で、日本でもようやく多数派になりつつあった小市民層の生活を、その意識に即して描いた。意識に即しての描き方とは、心理描写を基本とするということである。この小説ほど、緻密な心理描写が展開されているものは、日本の近代文学ではほかにない。そういう意味でも、この小説は漱石の最高傑作であるとともに、日本の近代文学が到達した金字塔のようなものである。

近代社会の小市民層の生活ぶりを描くのが小説の基本的な使命ということになるが、その生活ぶりとは、きわめて退屈なものである。その退屈な生活ぶりを飽くことなく描くわけだが、小説なのだから、多少のアクセントは欲しくなる。それはたとえば金をめぐるトラブルだったり、男女の恋愛であったりするだろう。じっさい近代小説には、金をめぐるトラブルと、男女の恋愛が最大級のテーマとなっていたのである。

「明暗」の場合には、金にまつわる話題は出てくる。「明暗」にかぎらず、漱石の小説には金の問題が頻繁に出てくるのだ。それに対して男女の恋愛は、あまりストレートな形では出てこない。男女の恋愛はふつう、男女が激しく求めあうという形をとるわけだが、漱石の小説に描かれる恋愛は、ストレートな愛ではなく、かなり屈折した愛である。その理由は漱石の描いた男女の恋愛のほとんどすべてが、姦通の形をとっていることにある。

漱石の小説を「姦通の文学」と評したのは大岡昇平だ。大岡は「三四郎」から「明暗」に到る漱石の恋愛小説のすべてが姦通をテーマとしていると考えた。「三四郎」は顕在化した姦通を描いてはいないのだが、姦通の前段となる三角関係の兆しは見て取れるように書いてある。「それから」は友人からその妻を略奪する話であるし、「門」はかつてその妻を略奪した男が、友人からの攻勢に悩まされる話だ。「こころ」もまた、友人から許嫁を奪った男の話である。さらに「行人」も、妻の貞操を疑う男の狂気をテーマにしたものだ。ことほどかように、漱石は姦通にこだわったのである。「明暗」はそんな漱石の「姦通」小説の頂点をなすものである。

その姦通というテーマについて、加藤は全くと言ってよいほど関心を示していない。二十台の若さでこの小論を書いた加藤には、姦通というような、いわば周辺的なテーマは、あまり意識に上らなかったのであろう。加藤はその後も漱石における姦通の問題を取り上げることはなかったので、そもそも姦通を漱石と結びつける発想を全く持ち合わせていなかったと考えられる。

そういうわけであるから、加藤の漱石論は、情念というものを強調している割には、その情念の内実がなにかについてはあまり立ち入ったことはいっていない。小生に言わせれば、漱石における情念の内実は姦通についての意識だったということになる。

加藤周一,夏目漱石論





コメントする

アーカイブ