おとなの事情:スマホ社会のプライバシー

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2016年のイタリア映画「おとなの事情(Perfetti sconosciuti)」(パオロ・ジェノヴェーゼ監督)は、スマホ社会におけるプライバシーの脆弱性を嘲笑的な視点から描いた作品。仲の良い友人仲間が、パーティの席上、スマホの中身を互いに公開するというゲームを始める。すると当然のことながら、不都合な事実が次々と暴露されて、居合せたメンバーはみな窮地に陥る。スマホがプライバシーの拠点となっていることは分かっているのだかから、それを公開することは、自分をさらけ出すことを意味する。だから、プライバシーが暴かれて窮地に陥った人間は自業自得なのだという冷笑的な視線が伝わってくる映画である。

浮気がばれるのは序の口で、ゲイであったことがばれるとか、夫の老いた母親を家から叩き出す算段をしていたことがばれるのは、破滅的な事態だというふうに描かれている。とくにゲイについては、イタリア社会は非常に因習的な考えに囚われており、親しい友人に対してもゲイであることをカミングアウトとすることは破滅につながるというふうな描かれ方である。

浮気についていえば、イタリア人特にイタリア女が尻軽なのは、ポンペイが噴火で埋没した時代以来のことであり、いまさら珍しくもない。だが、自分の妻や夫が公然と浮気するところを見るのはショッキングなことらしい。スマホのスピーカーから、見知らぬ男の声が、妻に向かっていますぐにお前とやりたい、と呼びかけるのを聞いたら、どんな男でも嫌な気持ちになるだろう。妻としては、夫が触ってくれないので長い間欲求不満になっており、男なら誰でもいいから、つついて欲しいと思うのは、無理もないのであるが。

パーティのホストの男は、妻とはいまひとつうまくいっていないらしく、その妻が欲求不満のはけ口として、プライバシーを暴くという悪ふざけを提案したのだった。その妻にとって不都合な事実とは、娘から全く信頼されていないことだった。娘は愛する男からセックスの誘惑を受けているのだが、そのことで母親に相談できず、父親に相談する。父親は娘にコンドームを与え、お前を信頼してるが、もし男とやることになったらこれを使えと指導するのである。そのいきさつを娘がスマホを通じて父親への呼びかけのなかで暴露する。母親としての体面を壊されるわけである。

画面はパーティが催されている室内に限定されている。こういうのは、ヒッチコックの「ロープ」以来の演出法で、ワンシチュエーション映画というのだそうだ。






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