加藤周一の芥川龍之介論

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加藤周一は芥川龍之介を評して「浪漫的」といった。そこで「浪漫的」という言葉の意味が問題となるが、かれはそれをとりあえず、「反俗的精神」と規定する。「彼には、浪漫的性格が比較的明瞭にあらわれていると思う。その具体的内容は、反俗的精神である」というのである。

芥川の浪漫的性格は、西洋の浪漫派をモデルにしたものである。西洋の浪漫派の特徴は、やはり反俗的精神だと加藤はいう。加藤がいうには、「浪漫派の文学者の一部は貴族から出ていたし、そうでなかったにしても、趣味のうえで著しく貴族的であった。彼らは、プロレタリアートと結びつかずに、しかもブルジョワジーとの対立を激しくした。その対立の表現が浪漫派に著しい反俗的精神というものである」。そんなわけで、西洋の浪漫派は、ブルジョワジーと対決し、人民の側にたって革命を遂行しようとする傾向が強かった(プロレタリアートと結びつかないまでも、その立場に寄り添うということはある)。浪漫派は貴族的であるとともに、革命的でもあった、というのが西洋の浪漫派についての加藤の見立てである。

ところが日本の浪漫主義は、貴族的でも革命的でもなかった。なぜなら、西洋の浪漫派が敵視したブルジョワジーが、日本には存在しなかったからだ。それゆえ、ブルジョワジーと芸術家との対立も、そもそも社会的に存在しなかった、と加藤はいうのである。

そんな日本に芥川のような人間があらわれて、西洋の浪漫派と同じような問題意識をもった。その問題意識は、反俗的精神という形をとったわけだが、その対象となるブルジョワジーが存在しない社会で、なぜ反俗的な精神が意味を持ちえたのか。見方によっては、芥川は存在しないものを対象に戦いをいどんでいる、ドン・キホーテ的な人物像に見えてくる。

もっとも加藤は、芥川を戯画化する意図は持たなかったようである。芥川は現実には存在しないブルジョワジーを憎むことはなかったが、それにかわって日本社会のもつ俗物根性は見抜いていた。芥川が憎んだのは、日本の民衆がもつ俗物根性だったのだ。だがその憎しみは単純なものではないと加藤はいう。「彼(芥川)は『俗悪な民衆』を軽蔑していたが、民衆の中にある歴史の将来を感じていた」というのである。そこから加藤は、「かれほど正確に歴史的な現実を見抜いていた作家はない。そうであったからこそ、反俗的精神も彼においてもっとも激しくもえたのである」と結論付ける。

しかし、この結論付けは、いささか性急のように聞こえる。加藤の結論は、芥川が歴史の必然性のようなものを見抜いていたということになろうが、そもそもその必然性とは、ブルジョワ社会の矛盾がやがて革命につながるということを意味するのだと思われる。ところが、当時の日本には、加藤によればブルジョワジーは存在しなかったのであり、したがってブルジョワ社会の矛盾もなかったわけである。ブルジョワ社会の矛盾を一身に体現するプロレタリアートも、当時の日本には存在しなかった。だから、プロレタリアートがブルジョワ社会の矛盾を解決すべく革命に訴えるという構図も、現実性を持たなかった。そういう状況において、芥川が、どんな意味で歴史の将来を感じることができるというのか。

芥川が置かれたような状況で、歴史の将来を感じとろうとすれば、ブルジョワジーもプロレタリアートも存在しないわけであるから、徳川封建社会の尻尾をつけている民衆が、歴史を動かすエネルギーをもっていると仮定せざるをえない。

加藤は芥川論の締めくくりとして、芥川が「大いなる民衆」と手を携えたならば、西洋の浪漫派に同じく、まともな浪漫主義の日本にける創始者になれただろうという。だが、その「大いなる民衆」とは、それまでの立論過程からして、プロレタリアートではありえず、徳川封建社会の尻尾をつけた民衆ということにならざるを得ない。そうした民衆は、権力による操作の対象になることはあっても、みずから権力を獲得することはできまい。

こういうわけで、加藤周一の芥川論は、かなりな程度の論理的破綻を抱えているように思える。





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