加藤周一「日本文学史序説」を読む

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加藤周一の「日本文学史序説」は、日本人が書いた日本文学についての包括的な叙述として、外国人がテクストに使っているくらいである。これを読むと、日本文学の歴史が俯瞰的に展望できるし、その日本文学の基本的な特徴、つまり時代を通じて変わらなかった要素が浮かび上がってくる。その要素の解説がいささか図式的なので、日本文学というものが、非常に単純で一面的だという印象を持たされる恐れもある。だから、日本人がこれを、自己理解のよすがとして読むのは差し付けえないと思うが、これを以て、日本文学の特徴なり歴史的な発展傾向なりが、遺漏なく説明されていると受け取るべきではない。とはいえ、これまで包括的かつ徹底的な日本文学史はほかにないといえるので、日本人のみならず、日本文化を理解しようと志す人には、大きな手掛かりを与えてくれると思う。

加藤が日本文学史を包括的に叙述せんとするのは、文学こそが日本文化をもっともよく体現していると考えるからだ。加藤は文学と並んで美術も日本文化の重要な構成要素としてとらえるが、その理由は、この両者が日本人の生き方(つまり日本文化)をもっとも典型的にあらわしているからだ。それをごく単純化して言うと、普遍的なものよりも個別的なものを、抽象的な原理よりも具体的な事象を、体系的な構成よりも部分的な興味を重んじる態度ということができる。それを加藤は次のように表現している。「日本の文化の争うべからざる傾向は、抽象的・体系的、理性的な言葉の秩序を建設することよりも、具体的・非体系的・感情的な人生の特殊な場面に即して、言葉をもちいることにあったようである」

そうした日本文化の特徴を、文学がもっともよく体現している。美術もやはりそうした要素をよく体現している。それに対して、日本では西洋音楽のような音楽は成立しなかった。西洋音楽の特徴は、ハーモニーをフルに活用して、建築的な構成美と全体的な整合性を重んじるところにあるが、日本音楽にはそうしたものはない。旋律を重視して、それを時間の流れに沿って引き延ばす。部分の面白さのほうが、全体的な構築美よりも優先される。部分が全体に優先するというのは、日本の文学も美術も同じである。

そうした日本文化の特徴は、太古から現代にいたるまで、終始一貫しているというのが加藤の基本的な見立てである。無論、日本文化にも外国文化の影響がなかったわけではない。しかしその影響の仕方は、日本文化が外国文化を一方的に受け入れたり、外国文化によって日本文化が変容されたりという形をとったわけではない。仏教にしろ、儒教にしろ、日本人はそれを日本文化に合わせる形で受け入れた。そういう現象を加藤は、外国文化の日本化といっている。日本化とは、外国文化を日本的な枠組みにあてはめて受け入れるということである。その際に大きく働く日本文化の源泉となるものを加藤は「土着思想」と呼んでいる。その土着思想が、外国思想を包み込んで、日本的なものへと変容させてきたというのが、日本文化の基本的な流れである、と加藤はいうのである。

そういうわけであるから、仏教にしろ儒教にしろ、また近代以降の西洋思想にしろ、外来の思想が土着思想を征服して、日本文化を根本的に変えるということは起こらなかった。起こったことといえば、古い文化が新しい文化に置き換えられるのではなく、古いものに新しいものが付け加えられ、その両者が共存するということだった。そうした傾向は現代まで不変である。日本では、新しい思想が伝来しても、それによって、従来存在してきた思想が駆逐されるわけではない。古い思想も新しい思想も仲良く共存するのである。大きな時間的スケールでこの構図を当てはめると、南都仏教、平安仏教、鎌倉仏教がいまでも仲良く共存しているのがそのいい例である。キリスト教圏では、カトリックとプロテスタントが仲良く共存するということは起こらなかった。

このような見立ては、丸山真男の有名な図式を思い出させる。丸山が言うには、日本人は外国文化が好きで、たえず新しいものを輸入している。日本人の面白いところは、そのあたらし好きが高じて、新しいもののほうが価値が高いと思い込むことだ。だから古いものは忘れ去られて、新しいものが重宝される。その結果、日本では、古いものと新しいものとの間に連続的な文化の積み重ねということが起こらない。絶えず新しいものを輸入してそれで事足れりとしている。そういう丸山の見方は、古いものと新しいものとの仲の良い共存を強調する加藤の見方とは相いれないように思われる。だが、丸山も加藤のいう土着思想には注目している。丸山はそれを「なりゆき」という言葉で表現したが、要するに何事も抜本的に再構成するのではなく、なりゆきにまかせて受け入れるという意味である。その成り行きにまかせる姿勢が、加藤のいう土着思想の内実になっていると言えなくもない。

その土着思想の底にある要素を加藤はいくつかあげている。日本人のコミュニケーションスタイルの独自性(状況を重んじる)、日本語の構文(部分を重んじる)、日本人の社会関係の特徴といったものがそれだが、なかでも興味深いのは、日本人が集団に組み込まれやすいということだ。日本人は個人として自立しておらず、特定の集団の一員として行動する。これは清少納言が平安時代の宮廷社会の外へ一歩も出なかったことから、現代の文士たちが文壇集団に依存していることまで、日本の文学者の一貫した態度だという。そういう態度が、日本人の保守的な傾向を高めている。そういって加藤は、日本人の保守的な傾向は、日本文化にその基礎を持っているというのである。

以上を踏まえて加藤は、日本文化の特徴を、改めて次のように定式化する。「抽象的・理論的ではなく、具体的・実際的な思考への傾向、包括的な体系にではなく、個別的なものの特殊性に注目する習慣。そこには超越的な原理がない。カミはまったく世界内存在であり、歴史的には神代がそのまま人世に連続する。しかもそのカミは無数にあって(八百万のカミ)、互いに排除しない。当然、唯一の絶対者はありえない。いかなる原理も具体的で特殊な状況に超越しないから、超越的な原理との関連においてのみ定義されるところの普遍的な価値もなりたたない」

そうした日本人の在り方は、天皇制国家からヤクザ集団まで共通して徹底していると加藤はいうのである。

以上は日本文学史についての、加藤の緒論的な問題提起である。以下、テクストに沿って、各時代における日本文学の特徴についての加藤の叙述を、個別的に追っていきたい。






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