SKIN/スキン:アメリカのネオナチを描く

| コメント(0)
usa202.skin.jpg

2019年のアメリカ映画「SKIN/スキン(Skin)」は、アメリカのネオナチの暴力をテーマにした作品。トランプの登場によってアメリカの極右団体が勢いづき、ナオナチやKKKといった人種差別主義者が暴力的な活動を激化させていった。2021年1月6日におきた連邦議会襲撃事件は、その象徴的な出来事だった。この極めて異様な現象に対して批判的な目を向け、頭のおかしくなったアメリカ人たちに反省を迫ろうというのが、この映画の趣旨のようである。

この映画の舞台は、2009年の中西部から始まるということになっているから、トランプの登場以前のことである。トランプが煽りたてる前から、アメリカの一部には極端な人種差別的な暴力主義者たちが生息していた。その連中はまだ、アメリカ社会では犯罪分子と見なされることもあり、FBIによる取りしまりの対象にもなっていたが、トランプが登場すると、かれらへの批判は相対化され、アメリカ社会に一定の居場所を持つようになった。この映画の中の暴力グループに似たものはアメリカじゅうにいたと思われるが、その連中がトランプのお墨付きを得て、公然とした暴力活動を活発化させたということだろう。

映画の主人公は、ネオナチの男女に育てられ、全身にヘイトのメッセージを刺青した若い男である。その男が、三人の子持ちの女と出会ったことで、心を入れ替える決意をする。女もまた太股にハーケンクロイツの刺青をするほど極右にかぶれていたのだったが、かれらの暴力主義的蛮行に嫌気がさして距離をおくようになったのだった。そんな環境では子どもたちは育てられないからだ。

男には義理の父母ほか多くの仲間がいて、その仲間たちから脱退は許さぬと迫られる。その上、じっさいに命の危険にさらされる。その危険を乗り越えながら、なんとかかれらとの縁を切り、まともな人間に更正するといったような内容だ。

だから、ネオナチの思想的な問題性を追及するというよりも、ナオナチの暴力団的な体質をあらわに描くといった色彩が強い。極右団体は、大方がヤクザと同じような行動様式にしたがっているので、擬似的な愛着の結びつきが強く、一旦仲間となったうえは、脱退されることが許されない。そんな暴力団の体質を乾いたタッチで描いている。

面白いのは、ナオナチのメンバーに働きかけてその更正を手助けする人が出てくることだ。この映画の中では、息子をひどい目にあわされた黒人が、復讐することよりも、ネオナチをまともな人間に更正させることを選ぶのだ。その黒人の熱意もあって、主人公は更正に成功するというわけだ。その際に、殺人事件を起した仲間のメンバーをFBIが襲撃する場面が出てくる。これは主人公の協力を得て行われたのだった。

この映画の舞台は、基本的にはトランプ登場以前のアメリカということになっているので、極右の犯罪については、FBIが毅然として取り締まるということが行われていたのだろう。しかし、トランプの時代には、FBIの中立的な姿勢は次第に崩壊し、トランプ政権の露骨な介入に服するようになっていった。だから、トランプ時代の全盛期には、極右はかなり自由に暴力を謳歌できるようになった。そんなわけでこの映画は、トランプ以前のアメリカとトランプのアメリカを対比させているとも見える。

タイトルの「スキン」は、刺青を施した肌という意味だろう。主人公は、顔をはじめ全身にヘイトメッセージの刺青を彫っているのだが、更正のしるしに、それらを消去する。そのことに二年近くもかかったとアナウンスされる。刺青が消去された時点で、主人公は亀裂していた女性との関係を復縁することとなるのだ。





コメントする

アーカイブ