山本薩夫「武器なき斗い」:山本宣治の半生を描く

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山本薩夫の1960年の映画「武器なき斗い」は、左翼代議士山本宣治の半生を描いた作品。半生といっても、大正十四年(1925)から、右翼に殺された昭和四年(1929)までの四年間をカバーしているだけなので、晩年を描いたといってよい。しかしこの四年間に、大学での弾圧にまきこまれて追放されたり、小作人の騒動にかかわったり、官憲の追跡を受けたり、また、昭和三年(1928)の第一回普通選挙に労農党から立候補して代議士になったりする。そのあげく、過激な行動を憎まれて右翼のテロリストに殺されるという、実に波乱に富んだ四年間だったのである。

山本宣治は「山宣」の愛称で親しまれており、日本の左翼運動史を飾る重要なキャラクターだ。その「山宣」を山本薩夫は偉大な英雄として扱っている。山本宣治は共産党員ではなかったが、日本共産党は彼に多大な敬意を表し、いまでも山本宣治を記念するものを、代々木の党本部に飾っているほどだという。山本薩夫もまた日本共産党員として、山本宣治への敬意を共有しているということだろう。

そういうわけで、きわめてプロガパンダ性の強い作品である。左翼に共感しないものにとては、鼻につく映画なのではないか。

見どころは、小作争議の先頭にたち、地主に雇われたやくざどもを相手に、ひるむことなく戦う山本宣治の姿だ。強い政治的圧力にさらされていたため、山本宣治はつねに死を意識していた。そのわりには脇のあまいところがあって、右翼のならず者と不用意に接触したりして、簡単に殺されてしまうのである。その右翼を使嗾したのは警視総監だったというようなメッセージが伝わってくるように構成されている。この映画が公開されたのは、1960年のことで、安保闘争で騒然とした時代背景があった。そういう時代だったからこそ、こうした警察批判を公然と行うような映画が作られたのであろう。なにしろ当時の警察は、左翼の運動を敵視して、露骨な弾圧をしていたから。






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