ゴーゴリ「ディカーニカ近郷夜話」その二

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「ディカーニカ近郷夜話」の続編は、四編の短編小説からなり、本編の翌年に出版された。中編といってよい比較的長い話二編と、短い話二編からなっている。本編の四編同様、基本的には悪魔を中心にした民話風の話である。三つ目の話「イワン・フョードロヴィチ・シポーニカとその叔母」には悪魔は出てこないが、主人公が見る幻影は悪魔の仕業といえなくもないので、それを含めてすべてが悪魔的なものをテーマにした民話の集まりということができる。それらの民話風の物語を通じてゴーゴリは、ロシア人、とくにウクライナに暮らす人々の宗教意識とか、民俗的な特徴を描き出しているのである。

第一話は「降誕祭の前夜」と題した比較的長い話。ディカーニカ近郷のある村を舞台にして、若い男女が結ばれるさまを描く。それに悪魔が一役買うという設定である。この話の中の悪魔は、人間に危害を与える恐ろしい存在ではなく、かえってお人好しで、人間のために骨を折ったりするのである。

主人公はワクーラという腕のよい鍛冶屋。かれはオクサーナという娘に惚れている。だがオクサーナは気まぐれな娘で、ワクーラの求愛を素直に受け入れない。女王陛下の靴を履かせてくれたら結婚してあげてもよいなどという。そこでワクーラは、ザポロージェ人の助けを借りたり、悪魔を使役したりして、女王陛下に無事拝謁し、まんまと女王陛下の靴を手に入れることができるのだ。その靴のおかげでワクーラは、オクサーナを妻にすることができた、というような内容の話である。

ごく単純な筋書きだが、それにいろいろな出来事が伏線として絡んでおり、それが物語全体をにぎやかな雰囲気にしている。まず、ワクーラが出会ったザポロージェ人たちは、コサックのことらしいが、かれらは「正真正銘のザポロージェ人らしい生活」を送っていることになっている。それは「つまり、何一つ仕事をするでもなく、一日の四分の三は寝て暮らし、食物は草刈人足の六人分も平らげ、酒は一度にたっぷり五升樽の一樽くらいはペロリと呑み乾した」というものである。

ワクーラが使役する悪魔は、ワクーラの母親ソローハに惚れている。ということはソローハにも魔女の素質があるということだろう。じっさい彼女は男心をふやかす能力をもっていて、悪魔のほかに、ワクーラの父チューブや、村長・補祭までたぶらかすのである。ともあれこの話は、こういった連中がさんざん騒ぎまわったあげくに、ワクーラとオクサーナが結ばれるところで終わるのである。

第二話「恐ろしき復讐」は、悪魔の娘とコサックの青年との不幸な愛について語る。悪魔は自分の娘の幸せより、自分自身の意地にこだわる。それにはわけがあった。悪魔には前世があって、その前世に人間からひどい仕打ちをうけたことがあった。そのために、今世で人間に意趣返しをしたというような設定である。この話の中の悪魔は、前編のお人好しの悪魔とは違って、人間に危害を加える恐ろしい悪魔である。また、人間同士も互いに危害を加えあっていることでは悪魔に劣らない。ウクライナにとってもっとも恐るべき敵はポーランド人だとされる。そのポーランド人は獰猛な連中として描かれている。かれらは、「ひとの女房は勝手に連れ込む。金切声、罵りあい! 骨牌を弄んでは、骨牌で鼻をうちあい、いたずらの限りを尽くして、猶太人の顎鬚を引っ張ったり、その異教徒の額に十字を描いたり、女たちに空砲を射ちかけたり、くだんの生臭坊主を相手にクラコヴィャークを踊ったりしている。未だかつてロシアの国土にかくの如き汚辱を加えたものは、韃靼人にすらなかった」と描写される。

第三話「イワン・フョードロヴィチ・シポーニカとその叔母」は、世間知らずの若者が、四十近い年になって叔母から結婚をすすめられる話。その「若者」は、結婚して女と一緒に暮らすということがどういうことなのか、一向にイメージできなくて不安に襲われる。その不安が高じて悪夢を見る。その悪夢の中に出てくる怪物たちが、自分を嘲笑するというような内容である。それにからませて、ロシアの地主貴族の生き方が皮肉っぽく描かれる。

第四話「魔法のかかった土地」は、悪魔に翻弄される百姓の話。日本の昔話「ここほれわんわん」ではないが、悪魔に魅せられた百姓が、黄金の壺を掘り当てて大喜びをしたのも束の間、壺の中にはがらくたがつまっていたというような内容である。

以上の四話及び前編の四話を通じて、テーマは悪魔に象徴される超自然的な力に人間が翻弄されたり、立ち向かっていったり、ときには悪魔を利用したりといった事態が描かれる。その悪魔に、ロシアにおける、キリスト教以前の土着信仰の名残を見るものもある。






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