加藤周一の鎌倉仏教論:日本文学史序説

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加藤周一は鎌倉仏教を西欧の宗教改革にたとえている。その理由として加藤は、鎌倉仏教の彼岸的・超越的な面を強調している。平安仏教は彼岸ではなく此岸(現世)の安楽を追求し、現世を超越した価値を求めなかった。鎌倉仏教に至ってはじめて、彼岸(浄土とか涅槃といわれるもの)へのあこがれと、現世を超越した価値(阿弥陀信仰やさとりの境地)への帰依が生まれたというのである。西洋の宗教改革も、そうした彼岸的・超越的な面を強調したものだ。もともとキリスト教にそういう要素があって、彼岸的な面は来世の思想に、超越的な面は一神教信仰に現れていたのであるが、プロテスタントはそれを徹底させた。そこが鎌倉仏教と共通するのだという。

加藤が言うような彼岸的とか超越的という特徴は、カトリックもまたもっていた。むしろプロテスタントよりもカトリックのほうが、彼岸性や超越性といったものにこだわっていたといえる。プロテスタントがカトリックと異なるのは、人間を神と直面させたことである。それまでは、普通のキリスト教徒(カトリック教徒)は、教会を介して神とつながっていた。したがって教会の力が非常に強かった。そこに堕落の生まれる原因があった。ルターが始めた宗教改革は、人々にたいして、教会を介さず直接神と向き合うことを教えたのである。それが西欧の宗教改革の根本的な特徴である。

加藤もまた、浄土宗の阿弥陀信仰に人と神(阿弥陀)との直接のかかわりを認めてはいるが、鎌倉仏教全体としては、神と人との直接的なかかわりという面は弱いといわねばならない。第一、禅宗系や日蓮宗には、一神教の意味での神という観念はない。だから、個人が直接神と向き合うという発想も生まれようがない。浄土教にしても、信仰の主な内容は浄土に生まれ変わることであって、阿弥陀はその道筋をつけてくれるものという位置づけである。だから、阿弥陀はキリスト教の神のような全能性は持たない。キリスト教の神は、世界の創造者であり人間の運命を全面的に左右する存在であるが、阿弥陀は浄土へ導く案内人のようなイメージである(実際阿弥陀は、来迎といって、人が死ぬと極楽へと導くために迎えに来てくれるとイメージされていた)。

だから厳密な意味合いにおいては、加藤の言うようなことには無理がある。加藤のいう西欧の宗教改革は、個人と神との関係の変化をもたらしたという面とともに、既成の宗教としてのカトリックへの反逆という面をもっていた。ところが鎌倉仏教には、すくなくともスローガン的には、既成仏教に対する反逆という面はほとんど指摘できない。浄土教が既成宗教から迫害されたときでも、表立って既成宗教を否定するようなことはいわなかった。だいたい、既成宗教にも、とくに天台を中心として、浄土思想はあったのであり、浄土教はそれを徹底させたということはいえても、既成宗教を全面的に否定するということはしなかった。日蓮宗にいたっては、既成宗教たる法華経信仰の枠内で布教したといえるのであって、したがって日蓮の意識においては、あくまでも既成宗教の聖典たる法華経の布教こそが眼目とされたのである。日蓮が批判・攻撃したのは浄土教や禅宗などの新興鎌倉仏教だったのであり、天台はじめ既成宗教は主な敵とはみなされていなかった。

以上は、西欧の宗教改革と比較しての、加藤の鎌倉仏教論の特徴とその弱点に触れたものである。鎌倉仏教の中では浄土教がもっとも信仰の内面性にこだわるところから、かれの鎌倉仏教論は浄土教を中心に展開する。その浄土教にも、プロテスタントが社会の改革に果たした強大な役割に類似したものは認められない。ましてやほかの新興仏教には社会の変革を促すような要素はほとんど認められないと加藤は考えているようだ。その理由は、鎌倉仏教の唱道者たちが、広範な民衆の日常の生活と遊離していたということらしい。日蓮を除いては、鎌倉仏教の主導者たちはみな貴族か上層階級の出身であり、庶民の利害に敏感だったとは言えない。そこは、庶民の利害を踏まえて行動した西欧の宗教改革者とは異なる。日蓮は、自身がいうように下層階級の出身であるが、どれほど庶民の暮らしに通じていたかは疑問である。そういう事情から、鎌倉仏教は或る意味庶民から遊離した宗教となり、したがって社会改革のエネルギーと結びつくことはなかった、というのが加藤の見立てであるようだ。

もっとも、室町時代以降浄土真宗や日蓮宗から社会変革の動きがあらわれたこは歴史的な事実である。だがそれは、歴史の発展のなかでの新しい動きであり、鎌倉仏教自体に社会変革の要素がもともとあったことを意味しないと加藤は考えているようである。

ともあれ、それまでの仏教が現世的な範囲にとどまっていたのに対して、鎌倉仏教が現世を超越する原理を発見したことは、日本文化の歴史における画期的な出来事だった。日本人はそもそも超越的な原理をもって現実社会を批判する能力に欠けているというのが加藤の基本的な見立てであるが、その超越的な原理を最初に掲げたのが鎌倉仏教であり、その点だけでも鎌倉仏教には歴史的に卓越した意義を認めることができるというわけであろう。






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