ゴーゴリ「タラス・ブーリバ」:ウクライナ・コサックの戦い

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ゴーゴリの中編小説「タラス・ブーリバ」は、「ディカーニカ夜話」に次いで出版した小説集「ミルゴロド」に収載されたもの。この小説集は四編の中編小説からなり、書名にあるとおり、いづれもミルゴロドを舞台にしている。ミルゴロドは、ディカーニカと同じくポルタヴァ県所在の町である。ウクライナ語(ロシア語のウクライナ方言)で、「平和の都市」を意味する。だが、この小説集の舞台となるのは、とても平和とは言えない。

「タラス・ブーリバ」はウクライナ・コサックの戦いをテーマにした作品。タラス・ブーリバとは、数あるウクライナ・コサック戦闘集団の一つを率いる隊長の名前である。かれはもともとポルタヴァ県のミルゴロドに暮らしていたが、ウクライナ・コサックの団長(総大将)の招集に応じ、二人の息子を伴ってザポロージェに赴く。ザポロージェには、ウクライナ・コサックの拠点・セーチがあるのだ。ウクライナ・コサックは、ロシア南部のドン・コサックと並んで、コサックの有力部隊である。コサックというのは、民俗的な意味での集団ではなく、機能的な集団である。独自の軍事力を擁して、高度の自治を謳歌する集団である。

小説の舞台となるのは、17世紀初めころのウクライナである。当時のウクライナは、ドン川右岸地帯をポーランドに支配され、ドン川左岸とクリミアをタタールに支配されていた。その二方面の支配者とウクライナ・コサックは、基本的には敵対関係にあった。コサックは、一方ではタタールやその同類であるトルコと闘いつつ、一方ではポーランドと闘った。ポーランドとの戦いは、1648年のフリメニツキーの乱で最高潮に達するのであるが、この小説は、フリメニツキーの乱の前触れとしての、コサックのポーランドへの反乱をテーマとする。

ポーランドに対するコサックたちの憎しみは深い。自分たちにとって抑圧者だから当然のことだろう。コサックのなかにはポーランド人の傭兵になるものもいたが、やはり肝心な時には一致団結してポーランドに敵対した。タタール人への敵対感情も強かったが、この小説では、対ポーランドが前面に出て、対タタールは背景に退いている。だがタタールへの憎しみを込めた言葉は随所で出てくる。ユダヤ人は、憎しみというより、嫌悪の対象である。ユダヤ人は狡猾で、油断がならない。コサックとポーランドが敵対すると、どちらへも機嫌とりをして、金儲けに精出しする。一方ロシアについては、スラブの同胞として見ている。21世紀の今日、ウクライナの人々は、ロシアを仇敵とし、ポーランドを仲間と呼んでいるが、長い歴史の中では、そういうことも起こりうるのであろう。

小説は、ポーランド人のウクライナでの拠点都市ドゥーブノ市を、コサックが攻略する様子を描く。ザポロージェに集結したウクライナ・コサック四千人が押し寄せるのだ。かれらは当初、町を封鎖して兵糧攻めにする作戦をとる。作戦は一定程度成功し、ポーランド人を飢餓が襲う。そこで町のポーランド人総督の娘が、タラス・ブーリバの下の息子アンドリーに色仕掛けをして、封鎖の網をくぐったりする。そうこうしているうちに、ポーランド側の反撃体制が整う。それと前後して、留守にしていたザポロージェがタタールに襲われ、略奪されたという報に接したコサックは、四千人の部隊を二つにわけ、半分をザポロージェにふりわける。兵力が衰えたコサックは、ポーランドの攻勢の前に苦戦する。タラス・ブーリバの長男は捕虜となり、ブーリバ自身も危機に陥る。その間に、タラス・ブーリバは次男のアンドリーを、裏切り者として処分するのだ。

長男を殺されたタラス・ブーリバは、復讐を誓う。だが、強大なポーランドを相手にして有効な反撃ができない。彼自身もついに殺されてしまうのだ。タラス・ブーリバの死はコサックにとって、ポーランドの支配に対する全コサックの反乱を呼び起こす。小説はその反乱の始まりを告げながらおわる、その反乱はやがてフリメツキーの乱へと発展し、ポーランドのウクライナ支配の終わりと、ロシアの軍事的な台頭へと結びつくのだ。

小説のエンディングは、ポーランド支配への反発と、コサックの勇気をたたえるタラス・ブーリバの言葉を伝える。いわく、「『さらばじゃ、同士諸君!』と、彼は上のほうからコサックたちに叫んだ。『わしのことを思い出して、春になったらまたここへやってきて、思い切り暴れまわってくれい!ポーランドの悪魔の手先どもめが、いったい何の得るところがあるというのじゃ? この世に何かコサックが恐れるものがあるとでも思っておるのか? 待っておれ、時が来たら、今に時節が到来したら、きさまらも、ロシア正教の信仰がどんなものだか思い知るじゃろうぞ! もはや遠近の諸国の民は今それを感じ取っておるのじゃ』」(服部典三訳)

小説の筋書きもドラマティックで壮大であるが、語り方も勇壮である。ほとんど叙事詩といってよい。詩人としてのゴーゴリの面目躍如といった趣がある。






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