伊藤昌亮「ひろゆき論」:「ダメな人」たちのオピニオンリーダー

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「ひろゆき」なる人物について、小生はそれが悪名高い掲示板サイト「2チャンネル」の創始者であることくらいしか知らないし、また知りたいとも思わなかった。時折ネット上で炎上する言動をして満足しているらしい人間と、かかわりたくもなかったのだ。ところが世の中には物好きな人がいるようで、その「ひろゆき」なる人物を社会学的な視点から分析してみせてくれる。雑誌「世界」の最新号(2013年3月号)に掲載された小論「ひろゆき論」(伊藤昌亮著)がそれだ。

その小論によれば、「ひろゆき」なる人物にはある程度の規模の応援団がいて、その応援団にとっては、かれは頼もしいオピニオンリーダーになっているという。その応援団のメンバーは、「コミュ障」、「ひきこもり」、「なまけもの」などの「ダメな人」で構成されている。「ひろゆき」自身「コミュ障」だったという。そうした「ダメな人」たちは、社会に対して憤懣を抱きやすい一方、自分自身が自力で利益を追求することを良しとする。「ひろゆき」の態度は、「オワコン」の日本を「ディする」ことで、社会への憤懣を晴らし、自己改造の可能性を信じることで自己承認への欲求を満たす点で、そうした「ダメな人」たちの考えに通じるものがあるということらしい。

そんな「ひろゆき」に思想があるとすれば、それは「ネオリベラル」とか「リバタリアン」とか言ったようなものだ。社会的な連帯を軽蔑し、自分の利益だけを考えるというスタンスだからだ。「ひろゆき」には「2チャンネル」の創始者にふさわしく、プログラマーとしての才能がある。その才能を生かして成功することができた。「ひろゆき」は、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスもプログラマー出身だったといって、かれらと自分を同一視するらしいが、その共通点は、プログラミングの才能を生かして金儲けに成功したということになる。人生、自分自身の個人的成功こそが重要なことであり、社会的な責任とか連帯といったことは問題にならない、というのが彼の信念になっているようである。

たしかに今の世界では、イーロン・マスクのような、利己的な生き方が喝さいをはくしやすい。だから「ひろゆき」の生き方に喝さいする応援団がいてもおかしくはない。ただその応援団が、「ひろゆき」の場合「ダメな人」たちで構成されているというのが、多少不気味さを感じさせる。

「ひろゆき」の生き方は「ライフハック」の手法と通じるとこの小論は言う。「ライフハック」とは、ITのテクニックを日常生活にも応用しようとするもので、「ずるい」、「抜け道」、「ラクしてうまくいく」といった常識では反倫理的なことを、積極的に取り入れることである。利口にふるまってラクに金儲けできる生き方といえよう。金儲けに成功したほうが勝ちというわけだ。そうした斜に構えた生き方が、「ダメな人」たちを勇気づけるということらしい。

小論は最後に、「ひろゆき」をある種のポピュリストと定義したうえで、その危険性を二つ挙げている。一つは「差別的な志向の増幅」、もう一つは「陰謀論的な嗜好の増幅」である。差別的な志向は、情報強者としての自己認識の裏返しである。そうした自己認識に基づいて、本当の意味での弱者いじめを堂々としている。また、陰謀論的な嗜好は、何事も信じないという態度が前面に出たものである。だがかれらは「何事も信じないという考え方を疑いもなく信じ込んでいる集団に過ぎない」といって、小論はかれらの浅はかさを指弾するとともに、その危険性を憂慮して見せるのである。

「ダメな人」たちのオピニオンリーダーが日本社会に一定のインパクトを与えている、と指摘したものとして、この小論を小生は受け止めた次第である。





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