深田晃司「ほとりの朔子」:思春期後期の女子

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深田晃司の2013年の映画「ほとりの朔子」は、思春期後期の女子を描いた作品。思春期の女子をモチーフにした映画としては、内藤洋子主演の1967年の作品「育ちざかり」が思い浮かぶ。「育ちざかり」は鎌倉の海を背景にして女子の初恋を描いたものだったが、この「ほとりの朔子」は、やはり海を背景にして女子の青春を描く。恋情もあるが、それにこだわらない。この年頃の女子が抱えている悩みとか疑問とか、成長にともなうさまざまな事柄が幅広く取り上げられ、描かれている。

大学受験に失敗した女子(二階堂ふみ)が、叔母とともにある海辺の町で夏のひと時を過ごす。叔母の友人が海外旅行をしている間、留守番をかねて避暑滞在するという設定だ。そこで女子はさまざまな人々と触れ合い、色々なことを学んでいく、というような内容だ。知り合いになった人は、年下の高校生とその親戚のおやじ、おやじの娘やその娘が通う大学の非常勤講師、その講師は叔母の恋人でもある。そのほか、近所のおばさんたちとか、年下の高校生の学校仲間などが出てくる。

最も重要な役を演じるのは、年下の高校生だ。この高校生は、目下不登校で、親戚が支配人をしているホテルでアルバイトをやっている。そのホテルは、ビジネスホテルなのだが、じっさいには連れ込みホテルであり、違法営業だという指弾を受けている。その指弾をめぐって、支配人のおやじと娘は奇妙な対立関係にある。もっともそれはどうでもよいことで、肝心なのは、女子と年下の高校生の関係だ。女子は当初、年上ということもあって、保護者然とした態度をとっているが、次第に異性を意識するようになる。だが、それが明白な恋愛感情に発展するのかどうか、映画はそこまではふれない。

そんなわけで、あいまいな雰囲気のなかで、思春期の女子が抱くであろう感情をきめ細かく表現することにこだわった映画だ。タイトルの「ほとり」は、もしかして「海のほとり」をイメージしているのか。「ほとり」という言葉は、それ単独で用いられることはまれだと思うので、妙な感じがする。

なお、映画の筋とははずれたところで、東日本大震災が言及される。この映画は大震災の衝撃が生々しい中で作られた作品なので、勢いそれに無関心ではいられなかったのであろう。とりあえずは、年下の高校生が福島から非難してきたという設定になっているのだが、その高校生は福島から出られたことをよかったと受け取っている。微妙な設定である。






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