捏造と不都合の相違:放送法文書問題

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総務省が作成したという文書(いわゆる放送法文書)をめぐって大きな騒ぎになっている。この文書は、メディアの報道姿勢をめぐって自民党政権が圧力をかけた経緯をまとめたものらしいが、当初はそれを怪文書だとかいって否定していた政治家が、総務省自体がそれが公文書であることを認めるや、一転して「捏造」だと言い出した。もし捏造でなかったら議員をやめるとまで言い切ったので、世間ではこれを面白がってはやしたてる始末である。

この文書が捏造されたものでないことは、それを捏造だと言っている当の政治家も認識しているというふうに伝わってくるので、なぜ彼女(その政治家は女性である)がそんなことを言うのか、よくわからないところがある。おそらく、自分にとって不都合なことが書かれているから、それを認めるわけにはいかない、とすればそれは、自分を攻撃するために捏造されたものだと考えたいのかもしれない。

自分にとって不都合な言説を「捏造」だといって攻撃した例は、たとえば某元総理大臣などの先例がある。その先例がいまの日本では尊重されているようなので、この女性政治家も某元総理大臣にならって、「捏造」だというような言い方をしたのだろう。

一つ不思議なのは、もしこの女性政治家が、自分の政治姿勢について自信をもっているなら、今回のケースについて、胸を張っていてよかったはずのところ、まるで自分のしたことに自信がないから、それを、つまり自分の過去の言動を、否定しているようにしか見えない、ということだ。

この女性政治家は、総務大臣時代に、大臣としての自分の見解を披露したうえで、それに従わない放送メディアは電波を召し上げると恫喝したものだ。小生の知人のメディア関係者は、その発言に恐怖を感じたと言っていた。そんなに威勢がよかったのに、今回の振る舞いは、あまりにも見識を欠いたものといわねばならないだろう。捏造と不都合との相違ぐらいは、わきまえておいたほうがよい。




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