クリント・イーストウッド「マディソン郡の橋」:中年男女の不倫の恋

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クリント・イーストウッドの1995年の映画「マディソン郡の橋(The Bridges of Madison County)」は、ロバート・ウォーラーの同名の小説を映画化したもの。原作は1992年に刊行されるや爆発的なヒットを記録し、日本でも早速翻訳されて大評判となった。小生もその評判につられて読んだ一人だったが、読んでの印象はあまりはかばかしくなかった。中年男女の不倫の恋を描いたこの小説のどこが面白いのか。発想が子供じみているし、官能的なところもない、などと思ったものだ。

映画では、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが中年男女の主人公を演じているが、メリル・ストリープはともかくとして、イーストウッドのほうは、すでに65にもなっており、中年男というより、そこらへんの爺さんといった感じだ。それでは官能的な雰囲気は期待できまい。

中年男女の不倫の恋といえば、アングロサクソン系の映画では「逢引き」が思い浮かぶ。その映画とこの映画には雰囲気的に似ているところがある。アングロサクソン系の人は、ラテン系の人とは違って、男女の関係を徹底的に楽しむということははばかられるのであろう。だから、「逢引き」にはセックスシーンは出てこなかった。この「マディソン郡」には、セックス・シーンが出てくるので、オヤと思ったりもするのだが、女のほうがイタリア人という設定になっているので、納得させられる。イタリア女ならセックスに開放的なわけだ。

一方、イーストウッドのほうはアイルランド人という設定で、イェイツ顔負けの瞑想的なところがある。その瞑想的な男が官能的な女にひかれるというのは、理解できないことではない。





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