フランスではデモが起こり、日本では諦めムードがただよう年金改悪

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先日小生は、岸田政権の少子化対策財源への年金の流用を批判し、受給者のみならずすべての国民が、抵抗すべきだと呼びかけたところだが、この呼びかけはどうやら、具体的な反響を呼びそうもない。国民は唯々諾々として岸田政権の言うことに従うつもりのように見える。これは、フランスに比較して非常に情けないことだ。フランスでは、マクロン政権による年金受給開始年齢の引き上げに抗議して、百万単位の大規模な抗議デモが起っているというのに、日本では諦めムードが漂っているようだ。

フランスで、年金改悪への抗議デモが起こっているのは、かれらフランス人が権利に敏感だからだ。かれらは、年金を自分たちの勝ち取った権利として受け取っており、それを値切られるのは権利の侵害だと憤ってる。それに対して日本の年金制度は、お上から与えられた恩恵ではなく、社会保障制度を支える契約の上に成り立っているものだ。その契約は、当事者たる国民と政府とが、平等の立場で順守すべき性質のものである。ところが岸田政権は、その契約を一方的に破棄して、かれらがこだわっている別の政策の財源として流用しようというのだから、小生はそれを窃盗と呼んだわけである。

フランス人が怒っているのは、かれらが権利と思っているものを、マクロン政権が踏みにじっていると受けとめたからであろう。日本人が岸田政権に怒りをぶつけないのはどうしたわけか。日本人は本来、政府との契約によって取得した受給権の一部を、一方的に奪われるわけであるから、政府に対しては、契約違反を理由に訴えてしかるべき立場にある。それなのに、岸田政権の言いなりになって、需給権の一部を盗まれるままに放置するのでは、あまりにもお人好しすぎるのではないか。

これはたとえて言えば、契約によって成立した生命保険の需給権を、保険会社の都合によって一方的にカットされるようなものだ。保険会社がそんなことをしたら、いかにお人好しな日本人でも怒るだろう。岸田政権がそれと同じようなことをして、国民が怒らず、あきらめムードに流されるのでは、お人好しを超えて、意気地なしというべきだ。





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