森鴎外「堺事件」:武士の名誉

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森鴎外の小説「堺事件」は、史実に基づいた歴史小説である。題材は、戊辰戦争の最中におきた土佐藩士によるフランス水兵殺害事件。この事件は、新政府がまだ体制を固めていない混乱期におきたもので、日本側の対応に腰の砕けたところがあって、フランス側からの抗議をそのまま聞き入れ、事件にかかわった土佐藩士たちは、弁解の機会もろくに与えられないまま、死刑にされた。ただ、打首ではなく切腹を許されたのがせめてものはなむけだった、というのが通説になっている。

事件の具体的な内容は次のように伝えられて来た。フランスの水兵たちは規律に欠け、堺の町の中で乱暴狼藉を働いた。当時堺の治安は、幕府が崩壊して町奉行が不在であり、土佐藩が臨時的に担当していた。土佐藩では、藩兵組織から六番隊と八番隊を割いて派遣し、杉紀平太を大目付とする軍監府をおいて治安にあたらせていた。フランス兵の狼藉を訴えられた軍監府は、フランス兵を取り締まろうとして争いになり、フランス兵十三名を殺害した。これに対してフランス政府は、京都の新政府側に抗議し、殺害者の死刑と損害賠償及び土佐藩主によるフランス公使への謝罪を求めた。新政府側は、フランスの主張を全面的に受け入れ、事件に関与した土佐藩士二十名の死刑を命じた。だが、通常なら打首のところ、特に切腹が許された。切腹の場に臨んだ土佐藩士たちは、フランス公使の目の前で堂々と腹かっさばき、なかには臓物を引き出して投げつけるものもあった。それを見たフランス公使らは狼狽はなはだしく、十一名の切腹が終わったところで死刑を中止した。だいたいこんなところが、事件の概要として伝えられてきたところである。

森鴎外は、フランス兵の狼藉ぶりとか、事件の処理の具体的な様子には一切触れない。ただ、土佐藩士たちがフランスの水兵たちを取り締まろうとして、船で逃げようとする水兵たちに発砲して殺害したこと、それに対してかれらに死刑の申し渡しがなされ、フランス公使の立ち合いのもとで切腹の儀式が進行する様を淡々と描くのみである。一編の焦点は、死刑そのものよりも、死刑に対する藩士たちの受け止め方である。藩士たちとしては、自分らは命令にしたがって職務を遂行したのであって、それ以外に行動を選択する余地はなかったのであって、したがって正義に反したことをやったとは思っていない。それゆえ死刑になることには納得がいかぬが、しかし、だからといってたてつく考えはない。上司から死刑を賜れば、受け入れるのみである。しかし、不名誉な死は受け入れられない。是非名誉ある切腹を授けてほしい、そう願うのみである。この小説はそうした藩士たちの名誉にこだわる気持ちに焦点を当てている。だから、この小説のテーマは、武士の名誉といってよい。

死刑になった藩士たちの大部分は、身分の低い者らである。身分が低くとも、武士は武士、武士としての名誉を重んじる点では、身分の高いものと異なるところはない。そういうかれらの気持ちに土佐藩側も答え、かれらを身分のある士分にとりたてたうえに、遺族の面倒を見ようと約束する。その約束があったからというのではなかろうが、藩士らは無駄に死ぬのではなく、意味のある死に方をするのだと、つまり名誉をもって死んでいくのだと自分を納得させるのである。

もっとも、二十人のすべてが切腹したわけではない。切腹は十一人で中止され、残りの九人は生き残った。すると、それまでの待遇が様変わりする。それまではある種の英雄扱いであったものが、生き残ったということで、犯罪者として扱われることになる。その激変ぶりに生き残った者らはとまどう。上司に抗議しても、お前らは生き残ったのだから、たいした文句を言えた柄ではあるまいと嘲笑される。生き残ったことで、かれらの名誉は地に落ちたのだ。

かれらの言い分は次のようなものである。「我々はフランス人の要求によって、国家のために死なうとしたものである。それゆゑ切腹を許され、士分の取り扱いを受けた。次いでフランス人が助命を申し出たので、死を宥められた。然れば無罪にして士分の取扱を受けくべき筈である。それを何故に流刑に処せられるか。其理由を承らぬうちは、たやすくお請け出来難い」と。この理屈はもっともなので、目付は始め当惑したが、お前たちは生き残ったのだから、それでよいとせいと応えるのである。

この者らの流罪は、その年のうちに、明治天皇の即位を記念する恩赦が適用されて放免となる。だが、いったん汚されたかれらの名誉が回復されることはなかった。という具合に、この小説は、徹底して武士の名誉にこだわっている。名誉の問題は、広義では、武士のメンツ(男としての武士の意地)に連なるものであり、それまで武士の意地にこだわってきた鴎外晩年の一連の小説とのつながりを感じさせる。だが、単なる意地と名誉とでは、おのずから差異がある。意地は他人にたいする自分の生き方にこだわるということであるのに対し、名誉のほうは、他人との関係という次元ではなく、より高い社会的な次元を連想させるものだ。名誉ある死というのは、自分自身納得できるというだけではなく、社会的に価値あるものと認められることを要請する。そういう点で、名誉は意地よりも一段高い価値といえる、というのが、鴎外の受け止め方だったのではないか。






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