メルロ=ポンティ「意味と無意味」を読む

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メルロ=ポンティの著書「意味と無意味」は、1945年から1947年初めにかけて書かれた小論を集めたものである。この時期メルロ=ポンティはサルトルとともに雑誌「現代(Les Temps modernes)」を主催しており、そこに掲載した文章を中心にして編集したものである。多くは時事評論的なものである。第二次大戦後まもない時代の空気を反映して、政治的な問題意識を感じさせる文章が多い。そうした政治的な文章は、先行する論文集「ヒューマニズムとテロル」にも収められている。

13編の文章が、三つの分野に分類・収載されている。「Ⅰ作品」は「セザンヌの疑惑」以下4編で、セザンヌのほか、サルトル論や映画論を収めている。「Ⅱ思想」は、「ヘーゲルにおける実存主義」以下五編の文章をおさめ、実存主義を主なテーマにしている。マルクスも、実存主義との関連において論じられる。「Ⅲ政治」は「戦争は起った」以下4編の文章を収め、同時代におけるフランスの政治状況を論じている。

セザンヌ論や映画論は、「現代」が創刊される以前の1945年前半に書かれたこともあり、「知覚の現象学」の応用論文といった観を呈しているが、「現代」創刊後に寄稿した文章はいずれも政治的な問題意識を感じさせる。この時期、フランスはレジスタンスの記憶が生々しく生きており、共産党の権威が非常に高まっていた。そうした時代の状況が、メルロ=ポンティに政治的な姿勢をとらせた。かれはもともと政治的な人間とは言えなかったのだが、レジスタンスへのかかわりとか、時代の強度に政治的な雰囲気がいやおうなくかれを政治的にさせたのだといえよう。

メルロ=ポンティの政治的なスタンスは、マルクス主義に(従ってフランス共産党に)敬意を評しながらも、それとの間に微妙な距離をおくというものだった。その点では、マルクス主義にのめりこみがちだったサルトルとは温度差がある。その温度差が後にかれらを離反させることになるわけだ。

メルロ=ポンティは、サルトルが言うように、「現代」の実質的な編集長であって、そんな立場からも、時代に向かって積極的になるような動機を持っていたし、また、サルトルとの間の友情を尊重してもいた。この二人は、どちらもフッサールの現象学から出発し、自らを現象学の徒として認識していたので、その主張には共通するところもあるのだが、基本的なスタンスにおいて、かなりな相違がある。サルトルが意識の形而上学というべきものに傾いているのに対して、メルロ=ポンティは身体の形而上学といってよい。形而上学という点では共通するが、一方が意識に閉じこもるのに対して、もう一方は、身体にこだわるという相違が指摘できるのである。

しかしこの時代の二人は、なるべく相互の共通性を尊重し、相違にはなるべく触れないようにしていたようである。それは、メルロ=ポンティがサルトルを論じる際に、サルトルの思想に踏み込むことがないことから窺われる。サルトルの思想に深入りすると、いきおい相互の相違を意識せざるをえないからである。

この時期の二人を結び付けていたのは「実存主義」という合言葉である。実存という言葉は、サルトルの場合ハイデガーから受け継いだものであり、もともと彼の思想に内在していたものだった。メルロ=ポンティは、あまりハイデガーを意識することはなく、現代心理学の成果を哲学に生かしながら自らの思想を語ったので、こちらはサルトルほど「実存」という言葉へのこだわりはなかった。もっともサルトルにしても、メルロ=ポンティがサルトル論の中で言っているように、「実存主義」というレッテルを外部から張られて、それをいやいやながら受け入れたという経緯があるらしく、自ら進んで「実存主義」者を名乗ったわけではないらしい。もっともかれは1945年には「実存主義とはヒューマニズムである」という講演をしており、その頃には自らを実存主義者として位置づけていた。

メルロ=ポンティもサルトルの「実存主義」を尊重し、サルトルと共同戦線を張る形で実存主義を擁護した。本書に収載されている「実存主義論争」と題する文章は、左右の敵から実存主義を擁護しようというものである。ここでメルロ=ポンティが右の敵と見立てているのはカトリックであり、左の敵と見立てているのはマルクス主義者である。かれが言うところのマルクス主義者とは、当時の共産党員のことをさし、彼が本来のマルクス主義と考えているものとは、かならずしも一致しない。ともあれ、カトリックはかれら実存主義者を唯物論者といって非難し、共産党のマルクス主義者はかれらを観念論者といって批判した。この両面からの批判・論難に対してメルロ=ポンティは、実存主義は唯物論でもなく、また観念論でもなく、その両者の二項対立を乗り越える、真に人間的な思想なのだといって、自分らの思想を擁護・防衛するのである。

これはメルロ=ポンティにとっては、比較的やさしく、また楽しいことだったといえるのではないか。かれはすでに、「行動の構造」と「知覚の現象学」の中で、主知主義(観念論)と経験主義(唯物論)の二項対立を超える、高次の立場について追求しており、その結果一定の結論を得ていた。だから、観念論と唯物論に同時に立ち向かうには、その高次の立場を援用すればすむことだったのである。もっともそれは、メルロ=ポンティの目論見に沿っていうことであって、その立論がどれだけ有効なのかについては、別の議論がありうる。

左右の敵のうちで、メルロ=ポンティがより強く反撃しているのは、カトリックである。それに対してマルクス主義については、共産党のマルクス主義者は気に入らぬが、マルクス本来のマルクス主義には敬意を表している。かれはその本来のマルクス主義が、実存主義を豊かなものにすることを期待するのである。この小文の末尾は次のような文章で結ばれている。「生きたマルクス主義は、実存主義的探求を窒息させる代わりに、それを『救い上げ』、統合しなければならないだろう」。






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