メルロ=ポンティのセザンヌ論:「意味と無意味」

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メルロ=ポンティは「知覚の現象学」の中でたびたびセザンヌに言及した。それは、知覚とはゲシュタルト的なものであり、したがってすでにそれ自体意味を帯びたものだという彼の考えが、セザンヌにおいて好例を見出すというふうに思ったからだと思う。そのセザンヌについてメルロ=ポンティは「セザンヌの疑惑」(「意味と無意味」所収)という論文を書き、主題的に論じている。

この論文の主旨は二つある。一つは、セザンヌの創作態度の特徴について、それをメルロ=ポンティの知覚理論と関連付けながら、整然と述べること。もう一つは、セザンヌの生き方について述べ、そこにセザンヌなりの自由を見ることである。

まず、セザンヌの創作態度。セザンヌは印象派の影響下から出発したのだが、やがてそれから離れていった。その理由は、印象派が「現実を、想像と、それにともなう抽象で置きかえている」(粟津則雄訳)ことに我慢がならなかったからだ。セザンヌは対象を、それが自分の目に見える通りに描くことにこだわった。印象派は対象を写真で見えるように描くのであるが、実際の知覚は写真とは異なっている。実際の知覚では「近くのものはより小さく見え、遠くのものはより大きく見える」。色についても、「灰色の紙の上にピンクを置けば、バックは、緑色を帯びる」。ところが印象派を含めて伝統的な絵は、バックを灰色に塗る。セザンヌは、そうしたやり方が、対象を知的に再構成させるという点で、二次的で間接的なやり方だと思い、もっと根源的で直接的な物の見え方を画面に表現したいと考えた。

それだからセザンヌの絵は、写真とは全く異なった印象を与える。同じ画面に複数の視点があることは珍しくない。静物画がその典型であるが、同じ画面に横から見たありようと、上から見たありようが混在している。これは常識には反したもので、したがってデフォルマションと言われるが、人間の実際の知覚とはそうしたものなのだとセザンヌは割り切るのである。

そんなわけだから、セザンヌは輪郭線にこだわらない。ほとんどの画家は、キャンバスの上に対象の輪郭線をひき、それにもとづいて色をおいていくが、セザンヌはそうしたことをしない。かれはいきなり彩色する。「彩色するにしたがって、デッサンも進む。色彩が調和すればするほど、デッサンは明確になる・・・色彩が豊かになれば、形態も充実する」。セザンヌがそうするわけは、「世界とは、隙間のないマッスであり、色彩の有機的組織であって、色彩を通して、遠近法の消尽線や、輪郭線や、直線や、曲線などが、力線として位置づけられ、空間の枠が、顫動しながら形成される」と考えるからだ。

セザンヌの生き方について。メルロ=ポンティは、セザンヌには分裂症の気質があると指摘している。それが画面にもあらわれている。だがメルロ=ポンティは、セザンヌの分裂症と彼の作品との間にストレートな対応を見ることには消極的である。かれがメルロ=ポンティの分裂症にこだわるのは、それがどの程度に、セザンヌの自由を脅かしたか、という点をめぐってである。深刻な病にとらわれた人に、完ぺきな意味での自由はない、というのが普通の見方だろう。だからセザンヌが深刻な分裂病を病んでいたとしたら、かれの自由は強い制約を受けていたということになりそうである。

メルロ=ポンティの見立ては、セザンヌは自分の分裂病と自由とをうまく調和させていたというものだ。そのことを表明するについて、レオナルド・ダ・ヴィンチを引き合いに出す。ダ・ヴィンチの母親は「大柄で不幸せな」女であったが、その母親と二人きりで幼年時代を暮らしたダ・ヴィンチは母親に強い愛着を抱いた。後に父親によって母親から引き離されたことで、かれの母親への愛着は決定的なものになった。以後かれは、母親との間にきずかれた強い絆をばねとして、その絆がもたらすべき生への渇望を、世界の探求と認識に用いることに専念した。かれがあらゆる分野に渉猟し、しかもそのどれにも執着しなかったのは、かれを駆り立てていたものが、野心ではなく生への渇望だったからである。

そうしたダ・ヴィンチの性格分析を、メルロ=ポンティはセザンヌにも適用し、ダ・ヴィンチにおける母親への愛着を、セザンヌにおいては、分裂病に見ているわけである。ダ・ヴィンチが母親への強い愛着にかかわらず、それに束縛されることなく、かれなりに自由な創作を実現できたと同じく、セザンヌも分裂病をかかえながらも、それに束縛されることなく、かれなりに自由な創作を実現できた。そうしたメルロ=ポンティの見方には、自由と必然とについてのかれなりの考えが働いているのでるが、それについては、ここでは触れない。

幼年時代の体験が性格形成に及ぼす影響については、メルロ=ポンティはフロイトの精神分析に一定の意義を認めている。フロイトのようにすべてを性欲に結び付けて考えるのは行き過ぎだとしても、幼年期の強烈な体験が個人の性格形成に決定的な影響を与えることはありそうな話だとみている。セザンヌの場合にも、幼年期における母親や妹との暮らしがかれの生き方の原点となっているようである。かれは晩年故郷のエクスに引きこもり、そこで制作活動に専念することができた。幼年期のような幸福な環境に身を置き、自分自身の分裂病と親しみあいながら生きたというわけである。






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