セリーヌ・シアマ「燃ゆる女の肖像」:女はいかにしてレズビアンになるか

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セリーヌ・シアマの2019年の映画「燃ゆる女の肖像(Portrait de la jeune fille en feu)」は、女性同士の同性愛をテーマにした作品。シアマは同性愛に深い関心を持っているようで、処女作の「水の中のつぼみ」でも、思春期の少女が同性愛に目覚める様子を描いていた。「水の中のつぼみ」は、現代のフランス社会を舞台としており、女性の同性愛はもはやタブーではなかったが、この「燃ゆる女の肖像」は、18世紀のフランスを舞台としており、従って、同性愛、とりわけ女性同士の同性愛は(表向きは)タブーだった。そんな時代に、若い女性が同性愛に目覚め、レズビアンとなっていく過程を描いたものだ。その時代のことだから、レズビアンとなることはかなりを勇気を要した。相手を同性愛に誘うには、それなりの慎重さが求められた。この映画は、互いにひかれながらも、なかなかカミングアウトすることができず、試行錯誤を重ねながら同性愛を確立する過程を描いているのである。だから、女はいかにしてレズビアンになるか、といった問題意識を感じさせる作品である。

一人の女性画家が、孤島にある屋敷にやってくる。その屋敷の女主人から、娘の肖像画を描くように依頼されたのだ。その女主人は娘を、ミラノの金持に嫁入りさせたいと考えている。本来は姉娘をとつがせるつもりだったのだが、その姉娘が結婚をいやがって自殺してしまったので、その補欠として妹がとつがされる羽目になったのだった。ところが彼女も結婚するのがいやなのである。そこで、母親の意図を見抜いたうえで、自分の肖像画を描かせまいとする。ポーズを取らないのだ。母親はその肖像画を見合い写真代わりに使うつもりなのだが、あまり美しく描かれ、相手の気に入られると、彼女としては困るのだ。

そんなわけで、画家は本人をモデルとするわけにいかず、彼女をよく観察したうえで、記憶を頼りに肖像画を描こうとするのだが、なかなかうまくいかないし、本人にも気に入ってもらえない。プロの画家としては、本人に気に入ってもらいない肖像画など、全く意味がないのだ。

絵は気に入ってもらえなかったが、同性愛の対象としては気に入ってもらえた。画家のほうにも同性愛の素質があったようで、互いにそれをカミングアウトしたあとは、急速に接近する。彼女らは、互いの肉体を激しく求めあう関係になるのだ。

モデルの女性の同性愛の傾向は、おそらく女子修道院の生活が育んだのであろう。彼女はそれまで長い期間、女子修道院で暮らしていたのだ。修道院が同性愛の巣窟であるのはよく知られたことだ。普通の修道院でホモセクシャルが流行るのは日本の禅寺における衆道の流行と同じ現象だ。日本には本格的な尼寺はなかったから、レズビアンが組織的に養成されることはなかったが、フランスなどカトリック諸国では、女子修道院がレズビアン養成の場となったことは不思議ではない。

というわけでこの映画は、フランスにおけるレズビアンの歴史的な背景について、教えられることの多い作品である。





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