メルロ=ポンティのサルトル論

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第二次大戦終了後しばらくの間、メルロ=ポンティとサルトルは蜜月関係にあった。そんな関係をもとに、メルロ=ポンティはサルトル論を書いた。「ひんしゅくを買う作家」(「意味と無意味」所収)と題された小文である。その小文の中でメルロ=ポンティは、作家としてのサルトルについて、かれが「ひんしゅくを買う作家」として攻撃の対象になっている事態に対して、かれなりにサルトルを擁護するのである。

メルロ=ポンティはサルトルを、人間としては妥協的、作家としてはスキャンダラスと定義する。かれの妥協的な性格は、たとえば世間がかれを実存主義者と呼んだときに、心では反発を覚えながら、自分には世間のレッテルを拒否する権利はないという理由から、そのレッテルを進んで受け入れたということによく見られる。作家としてのスキャンダラスさは、これは世間がこぞってあげつらっているもので、メルロ=ポンティとしては、その点に解してサルトルを擁護しようというのである。もっとも世間の誤解を説くのが目的ではない。サルトルはたしかにスキャンダラスに違いないのだから、世間に向かってサルトルはけしてスキャンダラスではないと言ってみても始まらないのである。

世間がサルトルをスキャンダラスと受け取るのはどういう理由からか。世間といっても、じっさいには作家たちのことだが、その作家たちは、サルトルが芸術と日常生活との境界を無視し、それを一緒くたに扱っていることに我慢がならないのだ。とりわけかれらを怒らしたのは、サルトルのボードレール論で、そこでサルトルは、ボードレールの芸術をかれの実生活の中に還元してしまった。たとえば、あの有名な「巨人族の女」は、ボードレール自身のマザー・コンプレックスを表現したものだと指摘したりする。世間を代表する作家たちは、そんなサルトルの見方は、ボードレールの芸術性を冒涜するものであって許せないというのである。

サルトルのそうしたやり方は、かれが作家自身とその芸術との関係を、独特の見地から見ていることに由来する。「彼は、作家の想像的生活と実際の生活とが一つの全体を形作り、それがただ一つの源泉から生まれる、と考えているだけである。その源泉とは、作家の選んだ、世界と他人と死と時間の扱い方である」(滝浦静雄訳)。その扱い方は、人間は個人としても作家としても、彼自身の自由な選択に基づいて意思決定しているのであり、その意思決定が、かれの人間的な生き方とかれの作家としての創作とにそのまま反映される、という考えに由来する。

こういう考えが、世間を代表する作家たちには我慢がならないのであり、そうした作家たちにとっては、芸術と実生活とはあくまでも別のものなのである。かれらにとって芸術は宗教のようなものであり、宗教が個人を超越するように、芸術も個人を超越する。ところがサルトルは、芸術を個人の実生活の中に還元し、そうすることで、芸術から宗教的な荘厳さを奪ってしまうというのである。

サルトルは無神論者であることを公言していたから、無神論を理由に攻撃されることには寛容でいられた。かれにはもともと、人間を超越した原理によって芸術を権威付けようとする気持ちはまったくなかった。むしろサルトルにとっては、「芸術作品の静けさを超えて興味をそそるのは、人間の根拠なき実存なのである」。

人間の実存に根拠がないというが、人間は無鉄砲に生きているわけではない。かれはかれ自身を根拠にして生きているのである。その根拠はかれの自由な意思にもとづいている。サルトルは人間を自由な意識として見ていたので、その自由な意識が彼の根拠となるわけだ。だから人間は、自由な意思にもとづいて、自分自身を未来に向かって投企し、それによって自分の歴史を作っていくような存在者である。人間には、種として与えられた必然性などはないのであって、みずからを創造し、それによって自らの歴史を作っていくのである。要するに人間は、彼自身の自由な決断に自身の存在の根拠を置いているわけである。

「その自由は、どんなにほめてもほめすぎることはないであろう」とメルロ=ポンティはいう。「それは真実、地の塩なのだ。眠りをむさぼる人間や卑屈な人間に事欠くような気配はない。時には、自由な人間がいた方がいいのである」。

自由については、メルロ=ポンティはサルトルと全く同じ見方をしていたわけではない。「知覚の現象学」の中では、自由が無制約なものではなく、必然性との緊張関係にあることを示唆していた。その点は、自由を無制約と考えるサルトルとは差異があるのだが、この時点では、サルトルと共同戦線を張って、世間の無神経ぶりに立ち向かおうとする姿勢の方が強かったように見受けられる。じっさい、メルロ=ポンティとサルトルとの間には、共通性よりも相違の方がより多く見られるのである。それについては、ここでは触れない。






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