ポアンカレ予想に正解はあるか

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昨夜(5月6日)、NHKのEテレがポアンカレ予想について特集番組を放送した。このテーマについては、2007年にすでに放送しており、今回はその二番煎じの域を出ていないが、前回よりは、頭の弱い人でもわかりやすく作られていると感じた。やはり頭のよくない小生にも十分わかりやすい内容だったし、また小生なりに色々と考えさせられるところもあった。

ポアンカレ予想の問題を単純化して言うと、宇宙が丸いということを証明できるか、ということである。ポアンカレによれば、宇宙の形は丸いか丸くないかのどちらかなのだが、もし丸いとすれば、それを証明するには特別な条件をクリアしなければならない。その条件をクリアするために、これまで大勢の数学者がしのぎを削ってきたわけだが、ついにロシア人のペレリマンがその条件をクリアし、宇宙は丸いということを証明したと主張した。その主張を世界中の有能な数学者が検証したところ、彼の立論に論理的な破綻はまったくなく、したがって論理的には可能であるといえるが、しかしそれが真実かどうかは断言できない、という反応が圧倒的に多かった。そんなことを番組は伝えて、ポアンカレ予想に完全な回答が与えられたわけでもなさそうだと言っていた。

これを見て小生がまず思ったのは、論理と実在に関する伝統的な議論である。これは神の存在証明について典型的にあらわれるのだが、論理的に可能であっても、それが存在することの根拠にはならないというものである。論理的には、翼の生えた馬というのはありうる話である。しかし実際にそういう馬を見ることはないのであるから、論理的にはなりたっても、存在としてはありえないということになる。(西洋の)伝統的な議論では、論理的になりたつものは存在するといってよいことにしており、実際そういう理屈で神の存在について語られてきた。いかしいまや、論理と存在とは別の次元のこととして捉えられており、論理的に成り立つものでも、それが存在の根拠となることはない、と今日では受け取られているのである。それゆえ、ポアンカレの予想をめぐる問題はいまだ解決されていないということになる。

宇宙が丸いということは、宇宙の外側に立って観察できれば容易に実証できる。ところが人間はそういう視点に立つことはできない(論理的にも実際的にも)。だから別の方法でそれを論証せねばならない。今までそれにかかわる議論として、たとえばハッブルの宇宙膨張説があった。これは宇宙が絶えず膨張しているという事実にハッブルが気づいたということだが、それを基にして、すべての方向に向かって膨張している宇宙は、丸い形をしているに違いないという確信を生んだ。この確信は、どんな物質にも形があると前提したものであって、その前提は、我々人間が生存している世界についての人間の捉え方のようなものを反映している。そうした議論は、人間が生存している環境については成り立つと思われる。だが宇宙の場合についてはどうか。宇宙はたしかに人間が生存している環境ではあるが、人間の理解を超えた部分を持つということを妨げない。宇宙が何らかの形を持つというのは、人間がものごとを理解するときの基準に従った考えであって、その基準からはみ出すものについては当てはまらない可能性がある。宇宙にはそうした人間の基準からはみ出したものがあるのかもしれないし、もしそうだったら、宇宙の形について云々すること自体がナンセンスということになる。そうだとすれば、宇宙の形についての問いは、偽の問いであり、その問いの内容は偽の問題ということになる。偽の問題に正解のありようがない。

かつてフランスの哲学者ジャック・デリダは、形而上学を批判するには形而上学の概念を以てするほか方法はないが、それでは形而上学の根本的な批判は無理かもしれないと言ったことがある。ポアンカレ予想についても、似たようなことが指摘できそうである。人間のスケールを超えた宇宙の謎に迫るには、人間起原の概念を以てせずにはおれない。でもそれでは、人間のスケールを超えた問題を真に解決するのは無理かもしれない。

頭のよくない小生であるが、この番組を見てこんなことを考えた次第である。





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