お互い命を大事にしよう:旧友たちと台湾料理を食う

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清子が東京へ出てくるというので、かつて学生時代にロシア語をともに学んだ連中で同窓会をやろうということになり、急遽新宿に集まった。清子及び小生のほか、石、福の両子が加わった。幹事役は石子がつとめた。そういうわけで、石子の指示に従い、昨日(5月9日)午後五時ちょうどに新宿駅の南口改札に赴いた次第。福子がすでに待っていて、挨拶を交わしたあと、ほかの二人の来るのを待ったが、なかなか来ない。清子は迷子になる傾向があるが、石子にはそうした傾向はみられない。そこでおかしいと思って携帯で呼びだしたところ、すでに南口にいるという。どこの南口かと問いただしたところ、われわれがしょっていた柱の影からひょっこり姿を現した。清子も一緒である。

会場にはどこか心当たりがあるのかい、と石子に聞くと、別にないというから、じゃあ安くてうまい店に案内するから、そこで台湾料理を食おうと言い、肩を並べて都庁方面に向かう。すさまじい人出だ。青森での生活が長い福子は、こういう人出を見ると威圧感を免れないという。呑まれてしまいそうで、息苦しいのだそうだ。その人波をかきはらいながら、国際通りに面した夜来香という店に入る。

まず生ビールで乾杯して、それぞれの近況を語る。清子はこの正月前後に癌の手術をしたそうだ。彼は四十六歳の年にリンパ癌を患って以降、身体のあちこちに癌ができるようになり、満身創痍といった具合らしい。今現在は特に困った病状はなく、小康状態だそうだ。二三年前に前立腺がんをやったといっていたが、今回はそのぶり返しかいと聞くと、そうではなく別の個所だという。清子は前立腺癌の手術をした結果、排尿のコントロールがきかなくなったといっていた。いまでもそうなのだろう。福子のほうは、前立腺が肥大して排尿がコントロールできなくなり、頻尿で悩んでいるそうだ。頻尿は俺も悩んでいるよ、前立腺が大きくなるとどうも頻尿になるらしい。福子は前立腺肥大のほかに、脳の具合も悪いそうだ。俺も脳の働きがかなり弱まってきたよ、と小生。一人石子だけは、どこも悪い様子が見えない。

ロシア語が縁で結びついた仲であるが、この日はロシアのことはあまり話さなかった。学生時代の思い出話とか、ほかの連中の噂話などに花を咲かせた次第。福子が今の細君と結婚したいきさつを初めて聞かされた。福子がなぜそんなことを言い出したのか。かれは青森には単身赴任していたせいで、長い間夫婦愛に餓えてきたわけで、そんな事情が妻への思いを掻き立てたのだろう。

福子の教え子に、苦労して神奈川県の教員になった者がいて、それが一年間の試用期間を終えるにあたって、正規採用を拒絶されたそうで、かれは教えた者としての責任を感じ、なにかとその教え子の心配をしているという。その教え子は、県教委の処分を不服として裁判を起こしたのだが、一審では棄却され、現在控訴中だという。おそらく、自由主義的な傾向を県教委の守旧派にきらわれたのであろう。最近は教育現場の保守化が進んでいるからね。

学問の方面では、福子はあいかわらずフランクフルト学派を研究しているそうだ。フランクフルト学派は、アドルノやホクルハイマーらユダヤ系が主導したものだ。それにはこの大学が20世紀に作られたという事情が働いている。それ以前には、ユダヤ系がドイツの大学に受け入れられることはなかったのだが、新参のこの大学は、ユダヤ系も差別することなく受け入れた、そう言ったところ、おれの場合はハーバーマスが研究対象で、そのハーバーマスは純粋なドイツ人だと福子は言った。

清子とは、どういうわけか、共産主義社会についてマルクスの抱いていたイメージが話題となった。マルクスは共産主義社会のイメージを明確に語ったことはなく、語った場合には、もっぱら女の共有について語った。女の共有というのは、家族の否定であり、共同体が生活の単位となることを意味する。そういう意味での共同体の理念は、イスラエルのキブツの実験に反映されている。キブツというのは、ロシアやポーランドからパレスチナにやってきたユダヤ人たちが始めたものだが、それにはユダヤ人の原始共産主義の思想が盛り込まれている。そう小生が言ったところ、清子は大いに反発し、そんなことをマルクスが言ったはずがないと言う。石子もそれに同調して、小生の説を攻撃するので、よくよくマルクスのテクストを熟読するべきだね、と言い返してやった。その後ユダヤ思想をめぐって、ハシディズムとかユダヤ神秘主義などをめぐる議論に発展した。

われわれは議論ばかりしていたわけではなく、料理も堪能したし、紹興酒も飲んだ。この店の紹興酒は、台湾産ではなく、紹興の国営工場で作ったものらしい。値段が安い割に、なかなかうまい。年代物である。料理のほうは、くうしん菜の炒め物、ぴーたんの煮物、貝類の炒め物、白身魚の甘酢あんかけ、豚肉の角煮(とんぽーろう)を頼み、仕上げに焼きそばを二皿追加した。一皿でいいというのを、石子が二皿にしたのだったが、とても食えるだけの余裕はなかった。そんなわけでたらふく飲んで食ったところが、驚くほど安い勘定なので、三人からは感謝されたほどだ。

八時半ごろ散会した。その後二次会に誘ったが、清・福両子はこれ以上身体が持たないというので、石子と二人でさるショットバーに入った。清・福両子と別れる際には、お互い命を大事にしよう、死んでしまっては何にもならんからな、と励ましあった次第。





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