瀬々敬久「とんび」:失われた人情の世界

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瀬々敬久の2022年の映画「とんび」は、瀬々にしてはめずらしく、地方の町を舞台にした人情劇である。無法松を思わせるような一徹な男が、妻を失った後、男手一つで息子を育て、その息子との間に強い絆を築き上げるというような内容の作品だ。その子育てに、周囲の様々な人たちが手助けをする。だからその子どもは、父親だけのものではなく、みんなの子なのである。そういった設定は、なかなか現実味を感じさせないので、これは願望を現実に投射したアナクロ映画のようにも映る。鋭い社会批判が持ち味の瀬々にしては、かなりゆるさを感じさせる映画である。

阿部寛の演技が光っているのと、薬師丸ひろ子の存在感が強いために、この映画は独特の魅力を放っている。阿部はもともと二枚目が似合うタイプの俳優だが、この映画では三枚目を見事に演じている。その雰囲気が独特で、小生などは無法松を想起したほどだ。舞台は備後だが、備後の言葉は博多の言葉にアクセントが似ているし、また祇園風ではないが、賑やかな祭の場面も出てくる。備後の祭は、山車ではなく神輿が主体のようである。

一方、薬師丸ひろ子は、子を捨てた母親ということになっており、その一人娘との対面がこの映画の大きなアクセントともなっているのだが、そうした筋書きは別にして、彼女がいるだけで映画の画面が和らいで見えるのは不思議である。

舞台設定が昭和になっていることに、今の日本人は失わたものの重さを感じるのではないか。いまの日本に、この映画のような雰囲気を期待することは、到底できない。なお、タイトルは「トンビが鷹を生む」という俚諺から来ているが、鷹である息子ではなく、父親のとんびを中心にして展開する。






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