メルロ=ポンティとマルクス主義

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メルロ=ポンティがマルクス主義について積極的に発言したのは、大戦後の一時期、すなわち対ナチ戦争に勝利してからほぼ五年の間である。この時期は、マルクス主義の権威が非常に高まっていた。フランスにおいては、共産党がレジスタンスの有力な一翼を担ったこともあって、共産党への信頼が他の国より強かった。そういう事情を背景に、フランスの知識人は、マルクス主義に対して一定の態度表明をするのが知識人としての義務だと感じたようだ。メルロ=ポンティは、この時期サルトルと親密な関係にあったので、サルトルと共同戦線をはる形で、マルクス主義を擁護するような活動をした。

もっとも、メルロ=ポンティの理解していたマルクス主義は、共産党のイデオローグのそれとは異なっていた。ガロディを筆頭にした共産党のイデオローグは、メルロ=ポンティにとっては、粗雑な唯物論であって、まともに相手にするようなものではなかった。かれらの唯物論は、単純な反映理論であり、人間を受身の機械のようにみなすものであった。そこには真の人間はいない。そういってメルロ=ポンティは、いわば俗流マルクス主義というべきものを拒否し、真のマルクス主義を対置するのである。
 
メルロ=ポンティにとっての真のマルクス主義とは、マルクスを実存主義の先駆者と見るところに成立する。マルクスの思想の本質は、人間を物質と見るのではなく、変革の主体と見ることであった。つまりマルクスは誰よりも人間の主体性を重んじた思想家なのである。その点でマルクスは、やはり人間の主体性を重んじる実存主義にとって、先駆者といってよいのである。

「意味と無意味」には、マルクス主義に関連した文章がいくつか収載されている。「マルクス主義をめぐって」、「マルクス主義と哲学」、「真理のために」、「信仰と誠実」、「英雄、人間」といったものだ。そのうち、「マルクス主義をめぐって」は、直接的には右翼の理論家モーニエへの批判となっており、マルクス主義は付随的に言及されるに過ぎない。「マルクス主義と哲学」は、マルクス主義における人間的な要素を強調したものであり、また、「真理ために」以下は、マルクス主義の政治的な要素を論じたものである。

メルロ=ポンティによれば、「実存哲学の本領は、その名も示しているように、単にまったき自立性のうちで内在的で透明な諸対象を定立するような活動と考えられている認識や意識を主題にするのではなく、実存、つまり一定の自然的歴史的状況のうちにあるおのれ自身に与えられ、この状況に還元されることもこの状況から引き離されることもできない活動を主題にするところにある。認識は人間の実践の全体のうちに置きもどされ、いわば実践によって底荷をつけられることになる」(「マルクス主義と哲学」木田元訳)。そうした実存主義の実践的な性格を、マルクス主義もまた持っており、そこが、実存主義の先駆者としてのマルクスの巨大な意義だとメルロ=ポンティは言うのである。

「真理のために」は、1936年の人民戦線の経験を引き合いに出しながら、当時のフランスのマルクス主義者たちの妥協的姿勢を批判したものだ。それに関連して、ロシア革命の際にレーニンがとった妥協的な政策にも言及している。この二つの事例のうち、メルロ=ポンティは、フランスのマルクス主義者には厳しく、レーニンには寛容な姿勢を見せている。フランスのマルクス主義者は、階級よりも国家を優先することでプロレタリアートを裏切ったのに対して、レーニンはプロレタリアートのための革命をうまく進めるために、政治的な妥協をしたと評価をしている。「妥協のほうが『左翼主義』以上にマルクス主義的なこともありうるのだ」というわけである。

レーニンに関しては、かれの提起した組織原則である「民主集中制」について、「信仰と誠実」の中で論じている。この文章は、カトリックを引き合いに出しながら、カトリックへの信仰と自分の人間としての誠実さとが、緊張関係にあることを論じたもので、その関連において、前衛党組織における、組織への信仰と自分自身に対する誠実さとの緊張関係を論じたものだ。その中でメルロ=ポンティは一般論として次のように言っている。「人間の価値は、爆発的で偏執狂的な誠実のなかにあるのでも、議論なき信仰の中にあるのでもなく、信頼をするのが妥当な時と問いたださねばならぬ時とを判断する~あるがままの自己の党派や集団を目を開いたまま引き受けつつ信仰と誠実とを自分の内部で結びつける~その作業を可能にする上位の意識のうちにあるのだ」。

そう言ったうえでメルロ=ポンティは、党と個人との葛藤は乗り越えられるという。それは党が彼の党だからであり、「個人が自分の意見を捨てて党に信頼を寄せるとしたら、それは党がその価値を証明してみせたからであり、党が歴史的使命の担い手だからであり、党がプロレタリア階級を代表しているからである」。

メルロ=ポンティがこう断言したことの背景に、当時のフランスの政治状況が大きく働いていたことは間違いない。革命が近いという認識を多くのフランス人が共有し、それをメルロ=ポンティも予感していたからこそ、こういう意見が説得力をもったのだと思う。





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