地方議会はいらない?

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岩波の雑誌「世界」の最新号(2023年6月号)に、今年の統一地方選挙に関連した記事がいくつか掲載されているが、その中で「地方議会はいらない?」と題した記事(大山礼子筆)を興味深く読んだ。これは地方議会への関心の低さとその原因について分析したものだが、地方議会への関心が低下するのは、民主主義にとってよいことではなく、関心を高めるための方策を考えなくてはならない、と主張したものだ。

日本の地方自治は、首長と議会との二元性をとり、互いが切磋琢磨しながら、望ましい地方自治が実現されることを目指したものとされるが、実際は首長主導であり、議会はほとんど首長の翼賛機関化している。そこで議会はかならずしも必要ではないという意見が出てくる。議会が積極的な機能を果たしておらず、したがって存在意義を自ら放棄しているような状態では、議会なしでもなんら困らない、住民の意思は首長選挙を通じて反映されるのであるから、議会はなくもがなの余計ものである、という考えが生まれるわけである。

小生も、かつて一自治体に勤務していた折、議会の役割には大きな疑問を抱いたものであった。小生の属していた自治体においても、政策は首長主導で実施されており、議会はそれを追認するばかりで、自ら政策を考えようとする姿勢は全くみられなかった。では議員らは何をしているかというと、政策はそっちのけで、権力を用いて私益を図るに多忙といった具合だった。議員らは役人を脅かして無理な言い分を通させようとする。そういう風潮がまかり通っているのを見ると、小生は、議会というものは、公益のために存在するというより、議員個人の私益のために存在するのであって、議員の数ほど悪事がはびこるようでは、公益のためによくないので、議員の数は少ないほどよいと考えたくらいであった。

この論文は逆の考えに立っていて、議会が機能することによってこそ、民主主義は充実するのであるから、議会がなぜ本来の機能を果たしていないのかについて、その原因を分析し、充実させるためには何が必要かを考えるべきだと言っている。そこで論者が強調しているのは、地方議会のほとんどが、「住民代表にふさわしい議員によって構成」されていないということだ。要するに現存する地方議会のほとんどは、性別・年齢・職業といった住民の属性を、適切に反映しておらず、極端に偏った構成になっているというのである。具体的には、時間にゆとりのある自営業などに従事する高年齢男性(要するに欲の突っ張った親爺たち)ばかりで構成され、女性とか若者などの意見が反映されないような事態になっている。それだから、社会のさまざまな問題に的確に対応する柔軟性を持つことができず、住民からそっぽを向かれるようになる。

そこで、女性や若者が議会に多数進出し、議会が社会のさまざまな層を代表するようになれば、おのずから議会活動も活発になり、議会本来の役割を果たせるようになるだろう、と論者は言うのである。もしそうなれば、議会にも何らかの期待がもてるようになるかもしれない。そういう方向に議会が進んでいくのであったら、小生も上述したような見方を撤回し、議会の役割に期待を持てるようになるであろう。




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