間接的言語と沈黙の声:メルロ=ポンティ「シーニュ」

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メルロ=ポンティの「シーニュ」所収の論文「間接的言語と沈黙の声」は、サルトルに捧げられている。この論文が書かれたのは1952年のことで、その年二人は決定的に別離した。そういう背景を念頭に読むと、この論文がサルトルへの批判を含んでいると思わせられる。もっともサルトルを直接取り上げたものではなく、サルトルの名はことのついでのように出てくるだけなのであるが、この論文の主要なモチーフの一つが歴史ということであれば、その歴史の解釈をめぐって、両者の間に溝があることは納得される。

歴史はこの論文の主要なモチーフの一つであるが、それは隠れたモチーフというべきもので、表立ったものではない。この論文の表立ったモチーフは、言語、芸術、文学である。その三者を通じて、メルロ=ポンティは「表現」を前面に押し出し、この三者いづれもが、人間の表現のスタイルなのであり、そのスタイルがある程度の歴史性を帯びるという形で、歴史を問題にするのである。

言語、芸術、文学というモチーフにそって、論文は三つの部分から構成されている。まず、言語について。メルロ=ポンティの言語論は、ソシュールの言語論を基礎としながら、それに彼独自の解釈を加えたものである。ソシュールの言語論の特徴は、記号(シニフィアン)とそれが意味するもの(シニフィエ)との関係を偶然のものとする一方で、意味そのものについては、記号相互の間の差異によって生じるとしたことである。メルロ=ポンティは、記号相互間の差異といういうアイデアを発展させて、かれなりの言語論を展開する。言葉の意味は、言葉そのものから生まれるのではなく、「さまざまな語の交差点に、言わばそれらの中間にのみ現れる」(粟津則雄訳)というのである。

これは具体的にはどういうことか。われわれは、ある言葉の意味を、その言葉が対象を直接的に指示していると考えがちである。その考えを拡大すると、言葉とは我々の外部にあるものの形象とか、我々の内面にあるイメージをそのまま表現しているということになる。だがそれは間違った考えだとメルロ=ポンティは言う。言葉というのは、外的な形象とか内的なイメージを直接的に表現するようには出来ていない。言葉は、そうした対象(これをメルロ=ポンティは原テクストと呼ぶ)の単なる標徴なのではない。言葉はそれ自体が自立した働きをもったものなのである。

そこのところをメルロ=ポンティは次のように言っている。「もしわれわれが、自分の精神から、われわれの言語がその翻訳ないし暗号であるような原テキストという観念を追払うならば、完全な表現という観念が無意味であることが、すべての言語が、間接的ないし暗示的であり、もしそう思いたければ、沈黙であることが、わかるようになるだろう。意味と無意味との関係は、もはや、われわれがいつも考えているような、あの各点ごとの対応関係ではありえない」。

言語が原テクストの翻訳ないし暗号ではなく、それを間接的に表現するものだとして、その表現には、言語の自律性というものが働く、というふうにメルロ=ポンティは考えを進めていくのであるが、それを見る前に、第二のモチーフである芸術についての議論を見ておこう。

芸術についての議論を、メルロ=ポンティはマルローの芸術論を批判しながら展開している。かなり煩瑣な議論なので、ここでは大略についてのみ言及する。マルローの芸術論は、芸術家の主観性を極度に強調する点と、それに関したある種の芸術至上主義からなっている。メルロ=ポンティはそのどちらも批判する。批判の趣旨は、マルローが個人の主観にこだわるあまりに歴史を無視しているということにある。どんなユニークな芸術家でも、かれなりのスタイルを持っているものだが、そのスタイルとは、突然変異的に、画家の特異な能力が生み出すものではない。スタイルが形成されるためには、それ以前の芸術の歴史についての意識的な反省があるはずである。その反省は歴史意識と結びついている。歴史を無視しては、芸術は語れないというのが、メルロ=ポンティの考えである。どんな芸術も歴史を背負っているのであり、ある意味歴史によって制約されている。マルローの芸術至上主義は、歴史を無視した空疎な考えだというのがメルロ=ポンティの批判の要旨である。

ここで歴史をどう解釈するかが問題となる。サルトルとの対立もそこに根差している。サルトルの歴史についてのイメージは、かなりマルクスを意識したものだ。マルクスの歴史解釈をここで議論している余裕はないが、サルトルによるマルクス解釈では、歴史を、基本的には、人間にとって外在的な力の発現としてとらえる。無論、唯心論者のサルトルのことだから、歴史における個人の役割を軽視するわけではないが、基本的には、個人を超えた客観的な力として歴史を見ている。そこがメルロ=ポンティには気に入らない。歴史とは、人間にとって外在的な力ではなく、人間が深くかかわって生成していくものだ。歴史は、ヘーゲルの言うような絶対精神の自己運動なのではなく、人間が動かしているものだというのが、メルロ=ポンティの基本的なスタンスなのである。

そこで、歴史の客観的な側面は歴史の自律性と言い換えられ、主観的な側面(個人の主体性)は歴史の偶然性と言い換えられるが、その自律性と偶然性との絡み合いは、言語にも指摘できる。言語は、制度としては自律性をもっているが、それを活用するのが個人であるところに偶然性を許している。ソシュールの言語学は、言語の制度としての自律性を強調するものだが、メルロ=ポンティは、それを踏まえたうえで、個人による言語活動の自由さをも重視するのである。

以上、言語論と芸術論を踏まえて、三つ目のモチーフである文学論が語られる。言語論、芸術論を通じて、制度と活動(運用)との絡み合いが論じられたわけであるが、その絡み合いは、具体的には表現というかたちを取る。表現というのは、制度を機械的に運用して、外面や内面にある対象を形あるものに定着するというような行いではない。そう考えては、表現は単なる手段に落ち込んでしまう。そうではなく、表現とは、それ自体が目的でなくてはならない。人は表現を通じて、自分自身の生を生きるのであり、生きることそのものがかれにとっては表現であるような、そのような関係が重要なのである。

メルロ=ポンティは、文学もまた表現の一領域だとし、言語、芸術、文学をいづれも表現のスタイルだとすることで、これら三者を基本的には同じ視点から見るのである。だが全く同じと考えていたわけでもない。かれは「言語は語り、絵画の声は、沈黙の声である」と言っている。文学の場合には、語る言語と沈黙の声とが共存しているということになるだろうか。






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