トルコ映画「蜂蜜」:父と子の絆

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2010年のトルコ映画「蜂蜜(セミフ・カプランオール監督)」は、農村部に暮す一少年の日常を描いた作品。トルコの農村地帯の豊かな自然を背景に、家族の絆とか子どもの世界が情緒たっぷりに描かれており、心がゆったりとさせられる映画である。

少年の視線に寄り添うような形で展開していくので、ストーリーには堅固な連続性がなく、どちらかといえば散漫である。にもかかわらず、少年をめぐる状況は理解できるようになっている。ストーリーの骨格は愛する父親との死別。少年には言語障害があり、母親との意思疎通でさえも困難なのだが、ひとり父親だけは、少年を深く理解してくれる。そんな父親を少年は完全に頼りきっているのだ。その父親が仕事に出かけたまま、二度と戻ってこなかった。少年はその姿を求めて森の中をさまようといったような内容だ。

そのメーンプロットに挟まる形で様々なエピソードが語られる。父親とともに蜜蜂の巣箱を仕掛ける様子、学校での授業の様子など。少年には強い言語障害があって、学習もままならない。そんな少年を教師はやさしく見守ってくれるし、同級生も同情的だ。決していじめたりはしない。この少年は体力も発達していないのだ。

また、ある少女が詩を朗読しているところを少年が垣間見て、彼女を好きになるシーンがある。その時少女が読んでいた詩は、アルチュール・ランボーの「夏の感触」という短い詩だ。少年は、字はまともに読めないが、文章を暗記する能力は高く、その詩を記憶してしまう。それを口ずさみながら、自分の宝物である船の模型を少女にプレゼントするのである。

ハイライトは父親の死だ。仕事に出かけたままなかなか戻ってこないので、母親は少年を祖母にあずけて、父親の捜索に従事する。そこで手がかりを得た彼女は、父親がいるという村を訪ねる。しかしいなかった。父親はすでに死んでいたのだ。父親が死んだのは、高い木のうえにある蜜蜂の巣を取ろうとして、転落したためだった。そのシーンが映画の冒頭で紹介される。観客はそれがどのようなことなのか、その時点では見当もつかないのだが、やがてかれがそのようにして死んだのだということがわかるように作られている。

こんな具合に、叙情的な雰囲気があふれるなかに、ちょっぴりペーソスを感じさせるものが気付けとして含まれているといった作品だ。なお、ランボーの件の詩を、拙訳で紹介しておこう。

  夏の青い黄昏時に 俺は小道を歩いていこう 
  草を踏んで 麦の穂に刺されながら
  足で味わう道の感触 夢見るようだ
  そよ風を額に受け止め 歩いていこう

  一言も発せず 何物をも思わず
  無限の愛が沸き起こるのを感じとろう
  遠くへ 更に遠くへ ジプシーのように
まるで女が一緒みたいに 心弾ませ歩いていこう





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