砂漠のライオン:イタリアのリビア侵略

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1981年の映画「砂漠のライオン(Lion of the Desert)」は、ムッソリーニのリビア侵略をテーマにした作品。ムッソリーニが対トルコ戦争の一環として、トルコが支配していた北アフリカに植民地を獲得しようとする。それに現地のイスラム勢力が抵抗する。ムッソリーニは、それを無慈悲に粉砕して、イタリアの覇権を確立しようとする。しかしムッソリーニの野心には大義がなく、イスラム側の抵抗にこそ大義がある、というようなメッセージが伝わってくる作品である。

一応アメリカ映画ということになっているが、リビアのカダフィがかなりの割合で資金を出したことから、リビア映画に分類されることもある。リビアの英雄を描いているわけであるから、それは根拠のないことではない。

主人公はリビア独立運動の英雄として、リビア人に愛されているオマール・ムフタールである。そのムフタールをアンソニー・クインが演じている。この映画の中のクインは、70歳を超えた老人を演じているのだが、気力体力とも充実した、英雄的な人間を演じている。この映画の魅力の大部分はクインの演技にあるといってよいほどだ。

そのクインに率いられたリビア側のゲリラ的な抵抗が映画の主要なテーマだ。繰り返し、リビア・ゲリラとイタリア軍の死闘が演じられる。物理的な強さではかなわないので、ムフタールは智慧で相手を圧倒しようとする。その目論見は多くの場合成功し、イタリア側に甚大な被害を与えるが、なにせ文明の差はかれらに巨大な壁となって立ちふさがる。その挙句かれらは、イタリアの近代兵器によって粉砕され、指導者のムフタールもリビア人の目の前で吊るされてしまうのである。

ムフタールに大義があり、ムッソリーニのイタリア軍を大義を持たない残虐な生きものとして描いたこの映画は、イタリア政府の怒りをかって、上映禁止になった。たしかに、この映画の中で描かれたイタリア人たちは、残虐きわまる振舞いをして、人道を踏みにじり、悪魔のような心をもった生きものとして描かれている。だから、イタリア政府が、イタリア国民を代表して怒りを表明したことはわからぬでもない。ましてや映画の中で敵役をつとめたグラツィアーニ将軍は、戦後ファッショによる犯罪責任を追及されもしたが、多くのイタリア人にとって、ある種の英雄と見られていた。その英雄が完膚なきまでに否定的に描かれているわけだから、イタリア人の怒りを招いたのは無理もないのである。

イタリア軍の非人間性は、50万ものアラブ人を強制収容所に隔離したり、アラブのゲリラに対して毒ガスを使うなど、あきらかに国際法に違反した行為にも表れている。映画がとりあげたそうした行為は、すべて史実どおりだというから、その部分では、イタリア人は謙虚に批判を受けとめるべきであろう。特に印象的だったのは、罪もないアラブ住民に対して空襲を行い、逃げ惑うアラブ人を機内から見ながらせせら笑うイタリア人パイロットの表情だ。東京空襲の際にも、米兵が逃げ惑う日本人を機銃照射しながら、それをゲーム感覚で楽しんでいる笑い顔を多くの日本人に目撃されている。戦争は、とくに勝者に対して、非人間的な作用を及ぼすものと見える。泣かされるのはいつも弱者のほうなのである。

「砂漠のライオン」とは、砂漠が生んだ獅子というような意味で、具体的にはムフタールを指しているようである。そのムフタールが人間性あふれる指導者として描かれる一方、ムッソリーニは、人間の出来損ないという具合に描かれている。グラツィアーニはそのムッソリーニの手駒の一つにすぎない。





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