どこにもありどこにもない:メルロ=ポンティ「シーニュ」

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メルロ=ポンティの「シーニュ」所収の文章「どこにもありどこにもない」は、1956年に刊行された「著名な哲学者たち」という、ある種の哲学史に対する序文として書かれたものである。この哲学史を、小生は読んだことがないが、どうも東洋思想やキリスト教思想を含めた東西の著名な「哲学者」たちについて、その文章の一部を紹介するアンソロジー的な構成をとっているようである。要するに人類の知的遺産についての一覧を供するという建前をとっているらしい。そういうタイプのアンソロジーは、一時日本でも流行ったものだ。

こういう構成の仕方は、メルロ=ポンティの言葉を使えば「博物館的」ということになる。だがそれでは、「哲学とは『観点』や『学説』のカタログ以上ではないとうことになりかねない」(滝浦静雄訳)とメルロ=ポンティは言う。もしそれをカタログ以上のものにしたかったら、それらの哲学を、ヘーゲル流に、「進行しつつあるただ一個の学説の諸契機として捉え、一つの体系としての統一の中で占める位置をそれらに与えてやるというふうにして、彼らの学説を救い上げるべきではないだろうか」。

しかし、そんなことはできない話だ、というのがメルロ=ポンティの言い分だ。たとえば、デカルトについていえば、それをヘーゲルがいうような意味での、絶対精神がたどるうえでの一つの挿話というふうに片づけるわけにはいかない。デカルトには、無論ヘーゲルの先駆者という面がないわけでもなかったが、それだけにとどまらない、いわば(ヘーゲルから見た)余剰みたいなものを多分に含んでいる。そうした余剰は、ヘーゲルのいう絶対精神の歩みからはこぼれ出るものであって、体系の中には位置づけられないが、デカルトにとっては本質的な意義を持つものでもある。要するにデカルトは、ヘーゲルの体系から漏れ出る部分を含んでいるのであって、それを無視しては、デカルトの意義を十分理解できたことにはならない。

デカルトのもつそういう余剰の部分の意義について、メルロ=ポンティは次のようにいう。「デカルトをして現在にあらしめているものは、彼が、今日ではもはや見られなくなってしまった当時の状況に取り巻かれ、その時代特有の関心事や或る錯覚にとりつかれていながら、そうした偶然事に対する彼の応対の仕方が、まさに今日、われわれがわれわれの時代の偶然事に応える仕方を教えているという点である」。要するにデカルトは、ヘーゲルの言う精神の必然的な発展の一契機などにはとどまらず、それ自身のなかに、偶然性とか、それへのかれなりの対応の仕方があるのであって、そのかれなりの仕方がわれわれに教えるところを多く含んでいるということになる。

メルロ=ポンティのそうした見方は、ヘーゲル流の歴史主義への批判であるとともに、ヘーゲルの必然性の概念を受け継いだマルクスの歴史主義への批判でもあり、また、そのマルクス主義から歴史主義を受け継いだサルトルへの批判でもある。(全体としての)哲学というものは、ただ一つの観点(中心点)をめぐって展開されるような一義的なものではなく、いたるところに中心があり、どこにも周縁がないようなものなのである。このことをメルロ=ポンティは、次のように言い換えている。「真理や全体といったものは、最初からそこに、ただし達成されるべき課題として、そこにあるわけであり、したがってまた、そこにないことになる」。タイトルの「どこにもある」というのは、中心はいたるところにあるということであり、「どこにもない」というのは、周縁を持たない円のようなものだという意味である。

マルクス批判のついでにメルロ=ポンティは、「作品を生活によって判定するのは、生活を作品によって判定することに劣らず無意味なことである」とも言っている。これは、作家の活動を、同時代の社会的状況の反映だとする見方への批判である。そうした見方に対してメルロ=ポンティは次のように言って手厳しく批判する。「いったい、人々がいろいろな哲学の内面的研究を社会的・歴史的説明で置き換えようと考えたりしうるのは、彼らが、その意味と経過とが明白に認識できるようなただ一個の歴史というものの存在を信じ、そうした歴史に拠り所をもとめているからにすぎない」。だが、とメルロ=ポンティは言う、「そうした(歴史の)指導理念は、いったい何に由来し、またどれほどの妥当性をもっているのだろうか」と。

とはいえ、社会的・歴史的指導理念を嫌悪するあまり、すべてを個人の主観に解消してしまうような見方も正しいとはいえない、とメルロ=ポンティは言う。どちらも極端という点では似ているのだ。メルロ=ポンティの見るところ、「<純粋>哲学の信奉者と社会的・経済的説明の信奉者とは、互いにその役割を交換し合っていることになる。したがって、われわれは彼らの果てしない論争に加わる必要はない」というわけだ。

「序文」は、著作の目次に対応した形で進んでいく体裁をとっている。その目次の項目には、「東洋と哲学」、「キリスト教と哲学」、「大合理主義」、「主観性の発見」、「実存と弁証法」といったものがあり、それぞれについて、メルロ=ポンティなりの解説が加えられている。詳述するゆとりはないが、日本人としてもっとも興味をひくのは、「東洋と哲学」についての部分である。東洋の思想については、どうも西洋より劣ったものとする見方が、フランスをはじめ西欧では支配的だったようで、歴史主義を信奉するものも、それを批判するものも、その見方においては一致している。それにはヘーゲルの大きな影響が指摘できるので、ヘーゲルは東洋の思想を、絶対精神の発展の端緒あたりをうろうろする野蛮な考えだとみていた。それはヘーゲルの弟子であるマルクスも同様で、かれは精神的なものではなく社会的・経済的なものに主眼を置きながら、東洋の社会を発展の遅れた、劣った社会とみていたことは、「アジア的停滞」という言葉を好んだことからもうかがわれる。そうした一方的な見方をメルロ=ポンティは幼稚な見方として嘲笑するのであるが、だからといって、どこまで東洋思想を理解していたかについては、おぼつかないものがある。

最後の「実存主義」の項目については、論理実証主義者たちの嘲笑を念頭におきながら、哲学というものは、論理実証主義者が考えるようには単純なものではないと反論している。「もし哲学から、直接指示しうる一義的な意味を提供しないような用語はすべて排除してしまうということになれば、この浄化作用は、他の場合の浄化作用と同様、かえって一つの危機を露呈することになるのではないか」。これはまだ実存主義の尻尾をぶらさげているメルロ=ポンティの発言であるとえよう・





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