葛藤 正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第三十八は「葛藤」の巻。葛藤という言葉は、現代日本語では心の揺れを意味するが、道元はそうした意味では使っていない。文字どおり、からまりあった葛や藤の蔓という意味で使っている。仏教の伝授をその言葉で意味するのである。そう使うのではあるが、蔦や藤の蔓が絡まりあった様子を、否定的に捉えるものが、道元の時代にもあった。道元はそうした捉え方を否定して、葛藤という言葉を肯定的な意味合いで捉えようとしたのである。

葛藤という言葉の意味合いについて、道元はこの巻の冒頭近い部分で次のように述べている。「おほよそ諸聖ともに葛藤の根源を截斷する參學に趣向すといへども、葛藤をもて葛藤をきるを截斷といふと參學せず、葛藤をもて葛藤をまつふとしらず。いかにいはんや葛藤をもて葛藤に嗣續することをしらんや。嗣法これ葛藤としれるまれなり、きけるものなし。道著せる、いまだあらず。證著せる、おほからんや」。およそ諸聖は、葛藤を単に切断することばかり考えて、葛藤を以て葛藤を切断したり、葛藤を以て葛藤にまつわるということを知らない。いわんや、葛藤を以て葛藤をつなげるということは思いもよらない。ところが嗣法とはこれ葛藤というべきなのである。

どういうことか。具体的なイメージを得るために、道元は師匠如浄の次のような言葉を引用する。「胡蘆藤種、胡蘆を纏ふ」。これは、「夕顔の蔓が夕顔にまとわりついているわい」という意味だが、具体的には師匠に弟子がまつわりついている様子をあらわしている。そのようにまつわりつくことで、教えの正伝を得ようというのである。

以上、要するに、師から弟子への仏教の正伝を、蔦や藤の蔓が互いに絡み合う様子にたとえているわけである。以下は、その具体的な例について述べる。達磨が四人の弟子に対して、かれらが教えを体得したことをほめたというものである。一番目の弟子が「文字を執せず、文字を離れず、しかも道用をなす」というと、達磨は「汝、吾が皮を得たり」と言って褒めた。二番目の弟子が、「慶喜の阿閦佛國を見しに、一見して更に再見せざりしが如し」というと、「汝、吾が肉を得たり」と言って褒めた。三番目の弟子が、「四大本空なり、五陰有に非ず、しかも我が見處は、一法として得べき無し」と言うと、「汝、吾が骨を得たり」と言って褒めた。四番目の弟子が、「禮三拜して後、位に依つて立」つと、「汝、吾が髓を得たり」といって褒めた。

このことについて、後世色々な解釈がなされた。四番目の弟子が慧可であり、その慧可が達磨の後継者であることを理由に、皮肉骨髄のうち髄がもっとも尊いとする解釈が有力だったが、道元はそれは筋違いだと反論する。達磨は四人の弟子たちが仏法を体得したことを素直に褒めたのであって、弟子たちの体得の度合いに浅深はない。体得したという点では、みな平等の境地なのだ。そのことを道元は次のように言っている。「しるべし、祖道の皮肉骨髓は、淺深に非ざるなり」。達磨がそれぞれについて皮肉骨髓と言ったのは、別に浅深の区別をつけんがためではないというのである。

以上を踏まえて、仏教の正伝を葛藤にたとえ、次のように言う。「師資の同參究は佛の葛藤なり、佛の葛藤は皮肉骨髓の命脈なり。拈花瞬目、すなはち葛藤なり。破顔微笑、すなはち皮肉骨髓なり」。

ついで、このことについての趙州眞際大師の言葉が紹介されるが、それは道元とほぼ同じような意味合いの言葉であった。それは次のような言葉で代表される。「皮也摸未著のときは、髓也摸未著なり。皮を摸得するは、髓もうるなり」。皮と髄との間に浅深の差はないという意味である。






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