正法眼蔵第四十一は「三界唯心」の巻。三界唯心とは華厳経のなかに出てくる言葉で、文字通りには世界のすべては心の中にあるという意味だ。世界の根拠を心の中に求めるというのは、唯心論的な発想で、のちにその考え方を唯識派が体系化した。道元には、唯識派への傾向がうかがえるので、この巻は、かれの唯識派的な思想を展開したものかといえば、そう単純ではない。かれは、一方では、三界は心というのではないと繰り返し述べているからである。基本的には、三界を心の所産としながらも、その心を普通の意味での人間の心としてではなく、仏の心の世界というふうに捉えていたようである。仏の心の中に展開されるもの、それが三界なのだというのである。仏という言葉には、具体的な人間ではなく、抽象的な原理という面もあるから、その抽象的な原理としての世界のあり方を、三界唯心という言葉で表現したのであろう。
この巻を道元は、釈迦の言ったこととして次の言葉から始める。「三界唯一心、心外無別法。心佛及衆生、是三無差別」。増谷文雄によれば、前半二句は華厳経離世間品の「三界所有、是唯一心」をもじったもの。後半二句は夜摩天宮菩薩説偈品のなかにそっくりそのままの形で出ている。道元はその二つを合成したということである。これを現代語に置き換えると、「三界はただ一つの心である、心のほかに何ものもない、心といい仏といい衆生といい、この三者は別のものではない。
これは華厳経の唯心論的な思想を、道元もまたそのままのかたちで受け取っているようにとれる。ところが道元は、このすぐ後で、「三界は全界なり、三界はすなはち心といふにあらず」と言っている。三界は全世界のことであり、心というのではない、という。これは、先の「三界唯一心」という説と矛盾するのではないか。この巻は、その一見して矛盾と思われるものをときほぐすところに醍醐味がある。
その矛盾をときほごすきっかけとして、道元はまた釈迦の言葉を引き合いに出す。「今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子」。いまのこの三界は、みな我の有である、その中の衆生は、ことごとく我が子なり、という意味だ。三界は我がものであり、衆生はことごとく我が子だ、とは何を意味するのか。我が有とは、すべての存在が仏の所有するものという意味合いではなく、仏の体現する真実在を担っているということのようである。衆生もまた、仏の真実在を分有しているがゆえに、我が子と呼ばれるのであろう。
そのように考えられるとすれば、道元は汎神論的な傾向をもっていたということができよう。スピノザの神のように、道元の仏もまた、あらゆる実在の唯一の根拠と考えられる。仏をそのようなものとしてとらえれば、三界は心の真実在が現成したものといえる。三界と心とは別物ではない、三界とは別なところに心があるわけではない。三界は心が現成したものなのである。
巻の最後の段では、玄沙院宗一大師と地藏院眞應大師とのやり取りが紹介される。宗一が眞應に向かって、おぬしは三界唯心をどう理解しているかと尋ねる。すると眞應は宗一に傍らの椅子を指さし、それをなんと呼ぶかと問う。宗一が椅子じゃというと、和尚は三界唯心をわかっておられないとやり返した。すると宗一和尚は、わしはこれ(椅子)を木とか竹というが、おぬしは何というかと問うた。それに対して眞應は、わたしも木とか竹と言います、と答えた。それに対して宗一和尚は、この世には仏法を理解しているものは、一人もいないらしい、といった。
このやりとりは、非常に分かりにくいが、要するに事物とその名前の関係について説いたものであろう。名前にこだわるのはばかげている。三界唯心もまた名前の一つであるから、その名前に過度にこだわるのはつまらぬことだと言っているように聞こえる。
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