ドミートリーの冤罪 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む

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カラマーゾフ三兄弟のなかでもっとも複雑な性格の人物は長男のドミートリーだ。見かけ上は次男のイヴァンのほうが複雑に見えるが、しかしイヴァンは基本的には冷徹なリアリストであり、その行動原理はそれなりに一貫している。それに対してドミートリーには、そうした一貫性がない。その場の雰囲気にのまれて、やぶれかぶれに行動する傾向が強い。そういう傾向はあるいは単純な性格に帰せられるのかもしれないが、ドミートリーの場合には、そんなに単純な話ではないのである。かれは、父親殺しの嫌疑をかけられて裁判されるのであるが、自分は裁かれる資格が十分あると思っている。だが、父親殺しでは無罪を主張する。一方で自分は有罪だといいながら、他方では無罪だといいはる。そんな彼の言い分を裁判官たちが聞き入れるわけはない。かれは、裁判にまともに立ち向かうには、性格が複雑すぎるのだ。

ドミートリーが裁判所に引き立てられたときには、かれの有罪はすでに決まっていた。かれには有能な弁護士がつき、検事を向こうに回して巧みな弁論を行い、論理的にはかれは無罪でしかないと証明したにかかわらず、有罪となる。それはロシアの裁判に大きな役割を果たす陪審制度のためである。ロシアの刑事裁判では、陪審員の心証が大きくものをいう。その心証の大部分は偏見から成り立っているから、裁判では事実より偏見がものをいう場合が多い。ドミートリーの裁判もそういったもので、かれはすでに父親殺しの嫌疑を、事実によってではなく、偏見によってかぶせられていたのである。かれがなぜそんな偏見の犠牲者となったのか。その理由は、一つは彼自身にもある。かれは日頃から父親との確執を周囲のものにかくさず、ことあるごとに、「親父を殺してやる」とわめきちらしていたのである。それがかれにとって不利な状況証拠になる。しかもそうした状況証拠は、ロシアの裁判では決定的な意義を持つのだ。

ドミートリーが父親のフョードルを憎むようになった理由は二つある。一つは金の問題であり、もう一つは女のことである。金については、生みの母親からいくばくの財産を贈られていて、それを管理しているはずの父親が自分にその詳細を教えてくれないばかりか、踏み倒そうとしていると勘ぐっている。女については、同じ女を親子で愛したという不都合な事情がある。その女はグルーシャとかグルーシェンカとか呼ばれており、サムソノフという商人の養女のような身分である。養女であり、かつ慰み者だとほのめかされている。非常に気位の高い女で、カラマーゾフ父子のどちらをもまともには相手にしていない。からかい半分の気持ちなのである。そんなわけだから、初恋の相手だったポーランド人から声をかけられると、カラマーゾフ父子を打ち捨てて、昔の恋人のところに駆けつけたりする。その恋人に幻滅したこともあって、最後にはドミートリーを受け入れるようではあるが、それまではドミートリーを気晴らしの相手くらいにしか思っていなかったのである。

ドミートリーは、三歳のときに両親に捨てられ、下男のグリゴーリー夫妻によって育てられた。成人したあとは町の一角の借家に住んでいる。かれの当面の目的は、グルーシャと愛人関係を結ぶことである。そのグルーシャを父親のフョードルも気に入っていることをかれは知っており、どちらがグルーシャをものにするか争っている最中である。その最中に父親のフョードルがなにものかによって殺害される。その殺人事件は、状況証拠からしてドミートリーが下手人だと判断するのが合理的である。かれは日頃から父親を殺すと公言していたし、事件の起きた時刻に殺害現場にいたことが明らかだからである。

ドミートリーにはもう一人女がからんでいる。カチェリーナといって、これも非常に気位の高い女である。ドミートリーはかつてその女の窮状を救ってやったことがあり、それがもとで、女から求愛されるようになっていた。しかしかれはカチェリーナを愛する気にはなれない。生き方がちがうし、気性も男勝りの強さがある。しかも教養があって、傲慢さももっている。そんな女と一緒に暮らす気にはなれないのだ。かれは無教養で粗野な男であり、そのことを自覚してもいたので、自分がカチェリーナにふさわしいとは思っていないのだ。一方、グルーシャのほうは、気位こそ高いが、性格はくだけており、親しみやすい感じがする。結婚するならそんな女がいい。というわけでかれはグルーシャに夢中になるのだが、その同じ女を、父親のフョードルも手に入れたいと熱望するのである。

殺害現場にドミートリーが押し掛けたのは、グルーシャがフョードルの家に来ているのではないかと憶測したからだ。しかし彼女はいなかった。そこで柵を乗り越えて屋敷から出ようとして下男のグリゴーリーと鉢合わせ、たまたま持っていた銅の杵でグリゴーリーを叩きのめす。そのさいに多量の返り血を浴びて、そこらじゅうが真っ赤になる。てっきりグリゴーリーが死んだと思い込んだドミートリーは、自分は殺人事件で裁かれるだろうと観念するのである。そんなわけでかれは、裁判所で妙なことをいう。自分は殺人事件の容疑者として有罪だが、父殺しの件については無罪だと言い張るのである。グルゴーリーは、かれにとっては育ての親同然なのだが、そのことをかれが意識している様子は小説の文章からはうかがわれない。もっとも、グリゴーリーのほうも、育ての親というような態度はとってはいない。

父親殺しが起こった前後のドミートリーの行動には、かなり無理なところがある。事件の直前まで、かれは無一文に近い状態だったはずなのに、どういうわけか、事件の直後には大金を持っていて、その金を持ってグルーシャがいるはずのカフェに乗り込む。そこでかれは大盤振る舞いをやり、またいろいろな出来事があったあとで、グルーシャの愛を射止めるのだ。しかし、その金をかれがどこから用立てたのかについては、客観的な描写という形では示されていない。ドミートリー本人は、裁判の中で、それは以前カチェリーナから預かった金の一部だと抗弁するのだが、それにしても不自然なところがある。この小説には、これ以外に不自然なところは見受けられないので、余計に目立つのである。

ドミートリーは有罪を宣告され、シベリアへ流刑されることになる。グルーシャは一緒についていくつもりである。一方カチェリーナは、イヴァンと協力してドミートリーを脱獄させ、アメリカへ送り込むつもりである。もしイヴァンが死んだら、自分一人の力で脱獄を成功させるつもりである。計画を聞かされたドミートリーもその気になる。かれはとりあえずアメリカに逃れ、そこで生活基盤を再建したうえで、変装してロシアにもどり、アメリカ人としての余生を送りたいと考えている。結局ドミートリーは、堅実な考え方ができないのだ。自分を冤罪に陥れたロシアを、かれが恨みに思わないのは、ロシア人として生きる以外に、選択の余地がないと思っているからであり、その思いには、理屈では割り切れない事情がこもっているということのようだ。






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