密語 正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第四十五は「密語」の巻。密語は一般的な仏教語ではなく、伝灯録中の雲居山弘覺大師の言葉からとったもの。そこには、「世尊に密語有り、迦葉覆藏せず」とある。そこでこの言葉の意味するものは何か、について道元なりの解釈をするというのがこの巻の趣旨である。

あるものが大師のもとに使者を送ってこの言葉の意味をただした。大師は使者に向かって、お前さんにはわかるかいといった。そのうえで、もしわからないのであれば、それは世尊の密語だからであり、もしわかるのであれば、それは迦葉不覆藏だからだといった。これだけでは、何のことかよくわからない。人によっては、わからないのは世尊の言葉が秘密だからと考え、仏の言葉というものは秘密の多いものだと納得するむきもあるが、道元はそうではないと言う。そう考えるのは、密語の密を秘密の密と受け取るからである。しかし密には親密という意味もある。「世尊に密語有り」という場合には、親密な言葉というふうに受け取るべきである。それについて道元は、ちょっと先のところで、「いはゆる密は、親密の道理なり」と断っている。

世尊の密語を親密な言葉とすれば、それがわかるのは、「迦葉不覆藏」だからである。迦葉不覆藏とは、迦葉にはわかったという意味である。不覆藏とは覆藏なく明らかになるという意味だ。要するに理解するということである。理解できるのは、釈迦の言葉の親密さを感じることができるからである。もしお前さんにも釈迦の言葉の親密さがわかるのなら、それは迦葉と同じ境地にお前さんも立っているからだ、というのが先のやりとりの意味合いであった。

親密さという意味合いでの密語は、釈迦だけではなく、すべての仏祖にある。そのすべての仏祖には、釈迦に対する迦葉のような存在がある。親密さという概念に他者との関係が含まれているからであろう。このことを道元は次のように説く。「かくのごとくの道理、あきらかに功夫參學すべし。おほよそ爲人の處所、辨肯の時節、かならず擧似密なる、それ佛佛の正嫡なり」。師が弟子のために説くところを、弟子がそうかとうなづいてうけとる、そこに親密さが生まれる、そういう関係が仏祖の間に受け継がれるのである。

師と弟子との親密な間柄を表現したものとして、道元は雪竇の次のような偈をあげる。
  世尊有密語  世尊密語有り
  迦葉不覆藏  迦葉不覆藏
  一夜落花雨  一夜落花の雨
  滿城流水香  滿城流水香ばし
落花に雨が降り注ぐと、水が花の香りを吸い込んで芳しい匂いをはなつ。それと同じように、釈迦のことばを迦葉がうけとって、親密な間柄を楽しむ、といったような意味合いだろう。






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