ニコラ・フィリベール「音のない世界で」 フランスの聾者たち

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ニコラ・フィリベールはフランスのドキュメンタリー映画作家。1990年以降ドキュメンタリーの話題作を次々と発表した。作風は、一定の対象に密着して、その日常を淡々と描くというものだ。代表作は「僕の好きな先生」(2002)や「かつてノルマンディで」(2007)などがある。

「音のない世界で」(1992)は、聾者の日常を淡々と描いた作品。対象となるのは、聾学校の生徒たちとその教員、また、成長した聾者たちのグループとか、年令の高い聾者たちにも密着取材している。ドキュメンタリー映画であるから、聾の当事者たちに密着取材しているわけで、演劇的な要素はない。

実に淡々としたつくりで、これといった波乱はない。ただ、フランスの聾者たちをめぐって、色々と考えさせられるところがある。まずショッキングなのは、聾が遺伝するという指摘だ。ある聾者は、過去五世代にわたって聾が遺伝してきたと言っている。彼自身聾だし、かれの姉の子も聾だ。だいたいフランスの聾者は、いわゆる健常者と結婚するよりも、聾者同士で結婚するケースが多いという。それもあってか、聾者の父母から生まれる子もまた聾者となる可能性が大きいというのだ。そこで念のためにウィキペディアで調べてみたら、聾が子に遺伝する確率は一割程度で、普通に聞こえる子が生まれる確率が非常に高いとあった。これが本当なら、フランスは非常に特殊な国だということになる。

フランスの聾者たちは、聞こえないことによって特に重大な困難を抱えていないというふうに伝わってくる。聾者同士のコミュニケーションは手話で十分に通じる。ただ、健常者に手話をする意欲がないと、その分コミュニケーションは制約されるが、それでも決定的な制約にはならないという。言語(声による)以外のコミュニケーション回路があるというのだ。

健常者の親は聾の子を、障害者としてみるのではなく、なるべく自然に接するべきだという。聾者の子でも、人間としての感受性には富んでおり、耳でやれないことは、目で代替したりして、それなりのコミュニケーションができるようになる。隠れた才能を最大限引き出すことが聾者教育の極意というのだ。そのとおりだと思う。

手話については、国際的に共通なものはなく、国ごとに(言語ごとに)違っているそうだ。だから、外国では聾者同士が共通の手話でコミュニケーションはできない。しかしその他のコミュニケーション手段を用いれば、なんとか意思疎通できる。聾者同士のほうが、より柔軟な意思疎通ができるのだそうだ。

聾者の教員が聾者の子供を相手に授業する場面は、この映画の圧巻だ。日本の聾学校でも、聾者の教員がいるのだろうか。





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