仏経 正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第四十七は「仏経」の巻。仏経とは仏教の経典のことをいう。その経典を道元はここでは仏教修行者がもっとも大事にすべきものだと説く。仏教の修行はまずお経を読むことを優先すべきだというのである。このようなお経優先の思想は、それ以前の道元の姿勢との違いを感じさせる。道元はお経を読むことを看経と呼んでいるが、その看経より只管打座を優先してきたのではないか。仏教修行は只管打坐に尽きるという道元の考えは、弟子の懐奘が隋聞記のなかで繰り返し強調しているし、また道元自身も只管打坐をもって仏教修行の眼目だと言ってきた。それがこの巻では、お経を読むことこそが仏教修行の王道だと断言するのである。われわれはそこに、道元の心境の変化のようなものを見る。道元がこの巻を示衆したのは、43歳の時で、吉峰寺においてであった。この時期の道元は非常に活発な布教活動をしており、正法眼蔵所収の巻の多くがこの時期に書かれている。盛んな布教にあたっては、弟子たちに只管打坐を進めるとともに、仏教経典を読むことも進めたに違いない。そうした事情が働いて、お経の意義をことさらに強調したのではないか。

もっとも道元は、具体的なお経の名前をあげて、それを読めと言っているわけではない。ただ漠然と経巻と言うばかりである。その経巻は、どうやら紙に文字を書いたものに限らないようである。森羅万象のすべてが経巻だというような言い方をしている。どうやら道元は、文字で記されたものを経巻のとりあえずのあり方だと認めたうえで、問題なのは字面ではなく、書かれていることの内容なのだと言いたいかのようである。そのような内容ならば、森羅万象の中にも認めることができる。

この巻は次のような言葉から始まる。「このなかに、教菩薩法あり、教諸佛法あり。おなじくこれ大道の調度なり。調度ぬしにしたがふ、ぬし調度をつかふ。これによりて、西天東地の佛祖、かならず或從知識、或從經卷の正當恁麼時、おのおの發意、修行、證果、かつて間隙あらざるものなり。發意も經卷知識により、修行も經卷知識による、證果も經卷知識に一親なり。機先句後、おなじく經卷知識に同參なり。機中句裏、おなじく經卷知識に同參なり」。「このなかに」とは、経巻には、という意味で、それには菩薩を教える経もあれば、仏祖を教える経もあると言っている。仏教のあらゆる修行は、経巻知識、すなわち師匠と経巻に導かれるというのである。

そのうえで、「いはゆる經卷は、盡十方界これなり。經卷にあらざる時處なし。勝義諦の文字をもちゐ、世俗諦の文字をもちゐ、あるいは天上の文字をもちゐ、あるいは人間の文字をもちゐ、あるいは畜生道の文字をもちゐ、あるいは修羅道の文字をもちゐ、あるいは百草の文字をもちゐ、あるいは萬木の文字をもちゐる。このゆゑに、盡十方界に森森として羅列せる長短方圓、青黄赤白、しかしながら經卷の文字なり、經卷の表面なり。これを大道の調度とし、佛家の經卷とせり」。という。文字は紙の上ばかりでなく、いたるところに読み取ることができると言うのである。

このようにお経の功徳を強調しておきながら道元は、師の言葉として次のようなものをあげる。「我が箇裏、燒香・禮拜・念佛・修懺・看經を用ゐず、祗管に打坐し、辨道功夫して身心脱落す」。これは、看経を用いず只管打坐すべしと読める。道元の上の主張とは矛盾する。そこを道元はどう切り抜けるか。「かくのごとくの道取、あきらむるともがらまれなり。ゆゑはいかん。看經をよんで看經とすれば觸す、よんで看經とせざればそむく。不得有語、不得無語。速道、速道」。この言葉はなかなかむつかしい、お経を読んで看経とすれば我が主張と矛盾するし、そうでないといえば、これもまた不都合だ。言葉で説明できないからだろう。そんなふうに読めるが、いささか苦しそうである。

続いて、大宋国の連中が経巻を軽んじていることを厳しく批判する。特に臨済・雲門は厳しい批判の対象とされる。「臨濟かつて勝師の志氣あらず、過師の言句きこえず」といって臨済をけなすのであるが、道元はかつて臨済を高く評価していたから、これも大きな変化である。

道元はまた、仏教を道教や儒教と一緒くたにして、これを鼎の三脚にたとえる輩を厳しく非難する。「おほよそ孔老の教の佛經よりも劣なること、天地懸隔の論におよばざるなり」。それをいっしょくたにするのはけしからぬと、たいした剣幕である。

以上を踏まえて道元は、この巻を次のような言葉で結ぶ。「しかあればすなはち、佛道にさだめて佛經あることをしり、廣文深義を山海に參學して、辨道の標準とすべきなり」。






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