ニコラ・フィリベール「すべての些細な事柄」 フランスの精神科診療所を描くドキュメンタリー

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ニコラ・フィリベールの1996年の映画「すべての些細な事柄(La Moindre Des Choses)」は、或る精神科診療所の日常を追ったドキュメンタリー作品。その診療所はラ・ボルドといって、精神分析家のフェリックス・ガタリと精神科医のジャン・ウーリーが1953年に立ち上げたものである。独自の方針で患者に接するという。ガタリは日頃、「気違いは病気ではない」と言っていたが、その言葉通り、この映画の中の患者は、ちょっと変わった生き方をしているが、それは生き方の違いであり、決して病気ではないというスタンスが伝わってくる。

ドキュメンタリーであり、患者の生活に密着した取材に徹し、これといったモチーフはなく、したがって物語らしさはない。ひたすら患者たちの日常の素顔を映し出すばかりである。精神療法のスタッフや、医師らしい人物も出てくる。しかしみな平等に取り扱われており、患者とスタッフの差異は表立たないように配慮されている。治す側と治される側とではなく、暮らしを共通する仲間としてみな接しあっている。日本では、想田和弘が精神科クリニックに取材したドキュメンタリー映画「精神」を作っているが、その中に出てくる人々は、患者側と医師らフタッフとの間に境界がある。この「すべての些細な事柄」の中の人物たちの間には、これといった境界はない。

「すべての些細な事柄」というタイトルのとおり、日常の些細な出来事が描写される。唯一大きな出来事と言えるのは、患者たちが主体となって計画されている演劇のことだ。その劇に、すべての患者とスタッフが参加する。それに向けて、毎日準備に余念がない。みなその実現を心待ちにしている。

歌の得意な患者がおり、踊りが好きな患者がいる。みな自分の得意なことを、劇の中で表現すればよいのである。

医師らスタッフが、患者を治療しているといったイメージではない。医師らスタッフが、患者らと一緒に日常を生きているといった感じである。それは「気違いは病気ではない」というこの診療所のモットーを実現しているということだろう。病気ではないのだから、無理に治療することはない。快適に暮らさせてやればよいのである。

精神科の診療所は、ただの診療所ではなく、患者の生活の場となっているから、日本の感覚では精神病院ということになるだろう。日本の精神病院は、患者を隔離することを基本方針にしており、非常に閉鎖的なイメージが強い。この映画の中の診療所は非常に開放的である。それはこの診療所固有のものなのか、フランスの精神科診療所に多かれ少なかれあることなのか、不勉強な小生にはわからない。





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